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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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>福島第一の事故は2万人以上が住む国土を住めない土地にしてしまった。国土は国の基本である。石原都知事は尖閣諸島を買うと勇ましいが、「帰還困難区域」の規模は領土問題の比ではない。尖閣諸島や竹島はおろか北方四島と比べてもその喪失は遥かに大きい。

冗談ではない、論旨が逆転しているぞ。「領土問題」の方が国の基本であるであるに決まっている。
少し冷静になって考えてみろ。「帰還困難区域の規模は領土問題の比ではない。」であるはずがないじゃないか。
こんなところでさりげなく「尖閣諸島や竹島はおろか北方四島と比べてもその喪失は遥かに大きい。」なんて朝鮮の片棒を担いで世迷言をほざくんじゃない!

>そこは絶海の無人島ではなく、たくさんの住民が暮らしていた愛しい地である。千年も前から耕して作物を育て、家畜を飼い、町や村を営んできた。それを我々は失ってしまった。今後何十年か、ひょっとしたら何百年か、住めない地域を作ったということを、国家としての日本はどう受け止めるのか。

日本の歴史を散々貶(おとし)めているお前から「千年も前から耕して作物を育て、家畜を飼い、町や村を営んできた。それを我々は失ってしまった」なんて台詞、聞きたかぁねぇ!

>昔の国家主義者ならば、罪万死に値すると言っただろう。

いやいや、「尖閣諸島や竹島はおろか北方四島と比べてもその喪失は遥かに大きい。」って方が、「罪万死に値する」ぞ。お前の方を国家主義者は許さんと思うがな。

>一年以上を経て改めて現況を見てみれば、福島第一原子力発電所崩壊の影響を最小限に留めようという財界と政府と官僚の意図は民意によって崩されつつあるようだ。

そんなことはないぞ。そこまで日本人はバカじゃない。現に高浜町議会や調布市議会をはじめ多くの地方自治体はやむを得ぬ選択として、原発容認だ。

>怖い、というのは理論や思想以前、感情よりもっと深い、ほとんど本能のレベルの反応である。福島原発1号炉、2号炉、3号炉、4号炉のあの無残な姿に国民は心の底からの恐怖心を感じた。見えない毒物が大量に放出された。覆水は盆に返らない。

だから、何度も繰り返すが、本能のレベルで反応しちゃいかんのだよ。「怖い、怖い・・・だから反対」っちゅうのは感情論であり、国家政策を考えるときには最も邪魔な存在なんだ。

>「廃棄物」の問題もある。こう呼ぶと捨てっぱなしで済むように思えるが、実際には「長期絶対隔離保管猛毒危険物」である。六ヶ所村が「再処理」でないのならもう受け入れないと言っているのは当然のことだ。そうなると原発は停まる。お宅のトイレが壊れた場合の惨状を想像していただきたい。

これは実に重要な論点だが、根本が誤っている。
「トイレのないマンション」何度も聞いたせりふだが、厳密に言うと違うぞ、「そこの住民の反対でトイレを作らせないマンション」なんだよ。こう説明すれば誰のせいなのか、判るだろ?

「六ヶ所村が『再処理』でないのならもう受け入れないと言っているのは当然のことだ。」

これは今までの原子力政策のあいまいな点だったが、そうせざるを得なかった事情を斟酌する必要があるぞ。トイレを作らせないから「高濃度廃棄物中間貯蔵処理施設」などというごまかしの表現をとらざるを得なかった。「高濃度廃棄物処理場」とは口が裂けてもいえなかったのだ。
何かと似ていることに気づかないか・・・そう、あの憲法九条と一緒なんだよ。

NIBY(Not In My Backyard 総論賛成 自分のところに来るのだけは反対)の根性は普天間基地反対闘争の精神構造とまったくおんなじ。要は、憲法九条が作り上げた今の日本の無責任で幼稚な国家観そのものってことなんだよ。前にも言ったがこれが動かぬ証拠だ。
まったく世の中には賢い方(↓)が居られるもんだ。

【16849】民間事故調の報告が付きつけた軍事の視点の欠落  かっくるなかしま 2012-3-2
http://6410.saloon.jp/modules/bluesbb/thread.php?thr=1482&sty=2&num=t1

原発は軍事技術の商業利用である。平和利用などというのがそもそもの戯言(たわごと)。実体のない言葉をその意味も知らず、よく考えもせずに使用すること、それは、あまねく思考停止に陥る元凶である。制御が不能となった後での事故処理、制御が困難に陥った場合の事故処理や安全対策、これらは、軍事と共通、もしくは軍事に準じるもの。
「軍事」、「科学」、「国益」の3つの視点のうち、あまりに軍事の視点が疎(おろそ)かにされてきた、蔑(ないがし)ろにされてきた。
これまでの歴史的経緯、あるいは事故調の報告、これらを踏まえれば、原発依存度を下げつつ、原発を使い続ける以上、「軍事」こそ、欠いてはならない最も重要な視点なのだ、と強調しておくに相応(ふさわ)しい。(異論の生じようがない)

>原発を捨てるのは辛い。みすみす失われる電力が惜しい。だけど、ここまで来たらしかたがないだろう。産業界だってこの逆境を機に体質を変えるしかないではないか。

無責任で気楽なことを言うではない!
民主党がブチ上げたあの国家戦略担当大臣はいったい誰で、今何をやっているんだ?
老人党SALOONでも世直し老人党でも何でもいいから誰か教えてくれーっ(おしまい)

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>今回、首都圏の人々は福島県民を自分たちの身代わりとして放射能の魔神に差し出したのだ。犠牲?いや犠牲には聖性が伴う。東電と財界の論理には利益しかない。

「放射能の魔神」?ハテ、どこかで見たような論理だと思って、調べたら似たようなものを見つけた。

「空気の研究 山本 七平著」

イタイイタイ病とカドミウムとの因果関係
米国よりも厳しい日本版マスキー法(窒素酸化物は人体に有害ではない)
Noxの国際基準(5ppm)と国内基準(0.02ppm)の意味不明な格差
臨在感的把握に基づく物質の神格化

放射能は自然界にもある、毎日人間の全てが被爆している、放射能の効用さえもある、なのに「放射能の魔神」って・・・科学や技術を心的に悪魔化して、全てを拒否する、これこそ山本氏の指摘した日本人の精神の脆弱性そのものではないか。

>あと数日、今週の土曜日には北海道の泊原発3号機が定期検査で止まる。稼働している原発が日本中に一基もなくなる。大飯原発を再稼働しようという動きは実現が遠くなったようだ。地元である福井県はともかく周辺の府県は反対を表明している。東北と関東の人々が実感しているとおり放射性物質の拡散に県境はない。琵琶湖の水が汚染されたら大阪も京都も困るだろう。安全対策33項目を積み残したままの大飯原発再稼働はどう見ても無理がある。

同じようなことをほざいている奴らはほかにもゴマンと居る。

「アンタら正気か?」  JINJINブログ
http://www.janjanblog.com/archives/69285

>これら2015年度までかかる対策が完了する前に、「大地震が来ない」、「大津波が来ない」、「事故が起きない」、「ベントが必要な重大事故とならない」という保証が、どこにあるというのであろうか…。

何言ってるんだ?そんな保証などないさ。あるわきゃない。だからどうした?今まで放置してきたのは国民全てだ。お前様も「あたしゃ例外」とは言わせんぜ。全体がのほほんと暮らしてきたからじゃないか。安全と水はタダってね。動かぬ証拠を最後に見せてやるから、楽しみに待っとけ。
でもな、これだけは言っておきたい。

「安全対策33項目を積み残したままの大飯原発再稼働はどう見ても無理がある。」

その33項目とは完成までに2~3年かかり、今すぐには対応できない代物が含まれているということだが、それでも何時くるか判らない天変地異に当面備えたものだ。大至急やる、と言ってんだから、了解しました、出来るだけ急いでね、と言うしかなかろう。それを今更何だ、ヒステリックに騒ぐんじゃない!

>「まだ準備ができていませんから、地震さん津波さん、しばらくは来ないでください」と言っているようなものだ。

そのとおりだよ。けど今までとどこが違うんだ。もともと日本は災害が繰り返されてきたんだ。でも、日本人特有の「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で来たんだよ。これからはそうは行かないって叫んでみたところで急に方向転換なんかできる訳ないじゃないか。「しばらくは来ないでください」って言いつつ、事後の対策を着実に進めていくしかないんだ。全て放り出して、今後一切罷(まか)りならぬ、などという子供じみた主張をしてどうする。

ひとつ聞きたいんだが、今回は大飯原発で大騒ぎしているが、東京はどうなんだ。
東京なんて原発に限らず、大地震だって考えられるし、相模湾に押し寄せる大津波だって絵空事じゃない、富士山の噴火だって考えられているんだ。富士山の風下にあんだけの大都市・・・池澤、お前はそのときの心構えや覚悟を東京都民に対してしっかりと説得できるとした上で言っているんだろうな。

「いいえ、私にはそんな説得など出来ないし、するつもりもない。」

だろうな、なら、少なくとも東京都民に対する当座の危機に対しては何の主張もしない一方で、大飯をはじめとした各地の原発に関しては、大地震が何時来るかわからないがすぐ止めろ、というのは論理矛盾じゃないのか。
とりあえず、原発を止めたいだけじゃないのか?そうでなければ、明日来るかもしれない関東大震災には無頓着で、同じ発生確率の大飯原発をヒステリックに騒ぐ、というのは物事を公平に判断していないぜ。
原発を停止させることによって生ずる甚大な経済危機、国難については、「知ったこっちゃない、あとは経団連や大企業が勝手に苦しめばいいんだ、ザマミロ」ということなんだろ?これこそまさに「一種の原発テロ」と言えないか?

>息子が本命のガールフレンドを連れてくるのに家の掃除が間に合わないって? そういう問題ではないだろう。

オウ、そんな問題じゃないぞ、そんなこと言ってないじゃないか。こんなところでおかしなたとえ話をするんじゃない!

>官僚の言葉遣いはその奥に自分たちが書いたシナリオが見える。「計画的避難区域」という場合の「計画的」とはどういうことか?事態に押しまくられてしかたなく避難するのではなく、自分たちは状況を掌握した上でことを進めているという弁明。「警戒区域」だって実際には「禁止区域」、正確に言えば「高い放射線量ゆえに一般人の立ち入りが禁止される区域」だ。警戒などで済むはずがない。この区域の呼び名が今回変わった。「避難指示解除準備区域」とはよくも作文したものだ。「もうすぐ帰れますから待っていて下さいね」という猫なで声を官僚文体にするとこういうことになる。それだって年間の放射線量のリミットを20ミリシーベルトという高い値に設定した上での話だ。国民の生命の値段が安かった旧ソ連でさえ5ミリシーベルトを基準としたのに。安全ですと言われて帰る人たちの不安、それでも帰らないと決める人たちの無念の思いはどうするのだろう。「帰還困難区域」は実際には「長期帰還不能区域」ではないか。「さしあたり」でごまかす論法は一年前に聞き飽きた。

言うのはタダから、好きなことをほざけるが、「言葉遣いには官僚たちが書いたシナリオが見える」・・・判った風な口を利くんじゃない!ちょっと頭の良い営業マンなら、誰でも考えることだ。官僚の思考の原点は概ね責任回避と自己保身だと言うことは否定しないが、今回の「計画的避難区域」は住民にパニックを起こさせないための配慮があるんだ。そんなこと位は偏見のメガネをはずして冷静に見たらどうだ。「警戒区域」「避難指示解除準備区域」「帰還困難区域」だってみんなそうだ。当該地域の不動産価格を徒(いたずら)に下落させる旗振りを行政がしてどうする。もっと大所高所に立って、世間というものを良く見渡したらどうだ。(続く)

物書きは情緒論で読者を扇動してはならない。
かつて、なだいなだが普天間を一気に混乱に陥れたルーピー鳩山の愚かな言行に対して、

「そもそも、沖縄問題は、そんなに緊急性のある問題ですか。それよりも沖縄の未来がかかっているのです。じっくり考えるべき問題ですね。(だから、「寝た子を起こすな」という非難を受けようとも敢えて今この段階で問題提起することがよい)」

と賞賛したよな、覚えているかい?
たしかオイラはあの時「この奇形サヨクは社会が混乱しさえすれば住民の暮らしなんぞはどうでもいいと言っているのと同じだ、沖縄を弄(もてあそ)んでどうする」と糾弾したぞ。

原発が停止する日     住めない国土 作った罪  池澤 夏樹

コラム「終わりと始まり」(朝日新聞 2012.5.1)

http://cub-chanchan.cocolog-nifty.com/cub/2012/05/post-81c9.html

>17年前、東京から沖縄に引っ越した時、これで原発の電気を使わないで済むと思った。沖縄に原発がないのは政策の結果ではなく、電力事業の規模が小さいからコストの面で見合わないというだけのことだ。

これで原発の電気を使わないで済むと思った

クラッ・・・いきなり張り手をブチかましてくれるじゃないか、オイ。で、後段が

「沖縄に原発がないのは政策の結果ではなく、電力事業の規模が小さいからコストの面で見合わないというだけのことだ。」

だとよ。前段は「本人が原子力を忌避する目的で沖縄へ移住した」って言う「信念の吐露」だけど、後段は「原子力発電所なんて費用対効果の条件さえ満たせばどこにでも出来る」って思い切り突き放したような物言いだ。論旨が結びついていないぜ。何故この文章が連続しているんだ?

ならば、沖縄に原発が出来たときはどこに移住するの?石垣島?いやいや、そこの電気も沖縄からの電気だよね。もっともこの矛盾にはすぐ後で言い訳しているが・・・

そもそも、この後段、何か奥歯に物が挟まったような書きぶりだ。書いた本人としては、「もともと政府や電気事業者が考える政策なんてのはロクなモンじゃない、やることなすこと全て悪魔的だが、それでも肝心要の金儲けが出来ないんじゃしょうがない、だから沖縄に造るのは止めたんだよ」、とでも言いたいんだろうな。

しかし、よく考えてみろ。「電力事業の規模が小さいからコストの面で見合わないというだけのこと」って、それこそ「政策の結果」じゃないのか?「政策の結果」だろ?

コンビニの開店じゃあるまいし、大型店舗の地方進出だって地元自治体の政策と切り離して進めることは出来ないんだ。ましてや原発なんて代物は費用対効果は勿論だが、何よりも政策だ。政策の塊(かたまり)なんだよ。厳密に言うなら、原発はある意味費用対効果を無視して、というか費用対効果の問題を極小化して進められた経緯があるんだぞ。国策そのものじゃねぇか。知らねぇのか?

>第一、電気の質に原発も火力も違いはない。それでもなんとも気持ちがいいと思った。自分が使う電気が危ない方法で作られるのはまだ我慢できる。それを遥か遠いところに造るというのが卑劣な気がして嫌だったのだ。

「第一、電気の質に原発も火力も違いはない。」

ほら、さっきの言い訳だ・・・(^^;

「それでもなんとも気持ちがいいと思った。」

無っ責任だよなぁ実に・・・現実に福島から離れられない人たちを尻目にこの台詞、てめぇはお気楽に沖縄に定住できるご身分だろうよ。前立腺癌の手術の時には日本にお世話になっておきながら、ニッポンの悪口を言いつつフランスで優雅に暮らす医者も居るがな。
なだいなだといい、坂本 龍一といい、大江 健三郎といい、瀬戸内 寂聴といい、この池澤 夏樹といい、どうしてこう次から次へとサロンアナーキストが出てくるんだ?

そういえば、イラク戦争で日本が参加の意思を表明した時に、「私は今からフランスへ帰りまーす。フランスは連合国軍の参戦に賛成してないからね。」とほざいた桃李っちゅうトンでもねぇのもいたなぁ。コートジボアールかどっかに軍隊を派遣しての悪行三昧、ユーロ建てでイラクから石油を購入したり、見返りにイラクに武器を売却していたくせによー。

>一般ゴミは自治体の中で処理する。分水嶺を越えて水を引くことはしない。

ったく、いっちいっち引っかかることを言うなぁ。
そうか?毎年新潟に降った雪は東京の水がめになっている。裏のほにゃらら岳からオイラの住んでるA市へ流れて来る水の三分の一は同じ水源を利用している隣のB市を通り越して大都市のC市へ引かれている、B市は消費量の都合でよそへ融通できる余裕はないが、A市はど田舎なのでC市に分けてあげられるんだ。思いっきり分水嶺を越えてるぜ。こんなケースはほかにもいっぱいあるぞ。ゴミさえ、いろいろな事情により他府県にお願いしている地方自治体だってあるんだ。
なにを根拠にこんなことを主張するんだろ。こういう連中が瓦礫処理に反対してんだろうなぁ・・・

>電力事業はそういう地方自治の倫理に違反している。水力や地熱ならば場所を選ぶが、火力や原子力はその気になればどこにでも造れる。遠い福島や柏崎・刈羽に造るのはずるい。

んー、「ずるい」ってか・・・そうか・・・電力事業者は加害者で福島や柏崎や刈羽の住民は被害者か。たしかに今回の福一の場合は放射能漏れという大失態で期待を見事に裏切り、加害者・被害者の構図がはっきりしたが、本来原発と地元自治体との関係はウィンウィンの関係だぜ。勿論東京都もだ。

そもそもこうした施設は災害発生も前提にするから被害極限の場所を選定することは常識だろう。
女川原発の場合なんか、あまりにも丈夫で、後発の地震や津波の被害の恐れも低い、ということから最初から被災住民の避難場所として機能したんだぜ?知らねんだろ?     (続く)

先日の長崎新聞(24.5.9)の一角にこんな記事があった。

http://www.nagasaki-np.co.jp/news/mizusora/2012/05/09090413.shtml

>この国で一番大切な決まりと小学校でも中学校でも教わったはずなのに、実は不具合だったのだろうか・・・そんな錯覚さえ起こしそうな改憲の大合唱が党派を超えて始まっている。
>憲法の表現は総じて抽象的だ。だから、時代に即した目でその規定を読み直していくことに異論はないのだが、そこを飛び越した独り善がりの欠陥商品呼ばわりには、異議を唱えておかねばならない。

おう、「時代に即した目でその規定を読み直していく」とは、いわゆる「解釈改憲」というやつだろうが、そもそも憲法の条文というのは、国家に関する大人の常識、良識といったものが坦々と書き記(しる)したものであるはずだ。

ところがその大人の良識、常識というべきものが毎回新たな事態・事象が発生するたびにこの場合はどうだ、その場合はこうだというような解釈をいちいち必要とすることの異常さ、それが今の「解釈改憲」のぶざまな姿なのだということに何故思いをいたさないのか。

大人の常識、良識とはどこから生まれてくるのか。その淵源は歴史と慣習と文化だ。
日本にはかつて聖徳太子の17条憲法から始まって、大宝律令、武家諸法度、五箇条のご誓文などがあった。これらの歴史的書き物はそれぞれの時代のものであり、現代にそのまま適用できるなどと主張するものではない。だが、日本人の秩序感覚、言い換えるなら義務、権利の観念はこうした歴史と慣習と文化から生まれてくるのではないか?
なんていうと、あの「流水氏」が逆上するだろうが・・・(^^;

300万人も死んだ敗戦のすぐ後という時期には理想的な憲法を作る余裕などなかっただろう。
だが、この米国製の憲法は日本の歴史や慣習や文化を全く無視した無国籍な条文で構成されて居り、非常に改正しにくいという特徴もあいまって、常に国民の規範意識であるべきはずの憲法が逆に国民の規範意識を支配するようなことに成ってしまったのだ。
本来成文化してはならない成文が強制力となって、常識や良識を無視した行過ぎた平和主義(すなわち無責任)や権利意識が一人歩きするようになっているのだ。

橋下大阪市長が「全ての元凶は憲法9条にある」と叫んだのも、まさにこの点を言いたかったのだろうと思う。

>憲法の表現は総じて抽象的だ。

それはそうだが、今の憲法の異常な点は、本来抽象的であるべき条文の表現に、戦争放棄条項が明文化されてしまっていることだ。まさに欠陥商品そのものだ。
大体だな、英語の原文を間違えて翻訳したまま施行から65年も経っているのに、一言一句も誰も直さないなんてのはおかしくねぇか?

「・・・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・」

コイツは何が言いたかったんだ?原文の英語はこうだ。

【・・・ no nation is responsible to itself alone・・・・】

これは「いずれの国家も責任は自国のみに及ぶものではなく、…」だろうが。

「あなたの国の責任は他国にも及ぶのです。だから、他国民ながら、あなたの国の戦争犯罪者を裁かせてもらいます」と読めば、東京裁判肯定のロジックだ。
「わたしの国はあなたの国をも教化し、文明化する責任がある」と読めば、米国による日本侵攻のロジックだ。実に悪意のこもった7語である。

翻訳した外務省の役人も、こんな失礼な英文憲法をバカ正直に訳せなかったのだろう、と同情はするが、それにしても悪文に見本みたいな翻訳文ではある。
わずか7語のこの1節が世界から金を毟(むし)り取られる腰抜け日本を作り上げてしまったと言えよう。。

好むと好まざるとに関わらず、このぶざまな日本国憲法はすでにそこにある。だから、戦力の不保持と交戦権の否定という国家の常識とはおよそかけ離れた妄想理念がひとたび明文化されてしまったが故に、それに引きずられた思考が当たり前となってしまった。
今ある日本の「解釈改憲」とは、条文に関する神学論的な辻褄合わせに過ぎず、自衛隊を「違憲ではあるが合法」というがごとき極めて不条理なのだ。

>現行の国会の二院制を見直すべきという主張がある。今の「ねじれ国会」では物事が決まらず、話が先に進まないから・・・という理由らしい。本末転倒もはなはだしい。「ねじれ」もまた、主権者である国民の選択の結果だということを忘れてはいないか。

憲法改正の話の中では、オイラにとって二院制の是非についてなんぞどうでも良い話だ。その時代その時代で国民がベストと思う手法を取り入れればよいことで、現に中選挙区制から小選挙区制へと変えたのは、細川政権の小沢 一郎幹事長であった。あの時も、小選挙区制に反対する主権者はたくさんいたが、残念なことに細川政権に幻想といえるほど過剰な期待を抱いたマスコミにより世論が形成されてしまったではないか。

問題の核心は社会や国際情勢が変わり、どんな不具合が生じても、憲法を一言も変えない、変えさせない、国民の規範は憲法の条文そのものに規制されるのだ、とする本末転倒にあるのだ。
Wag the Dog(犬が尻尾を振ってもニュースにならないが、尻尾が犬を振ったら大ニュース)なんだよ。

>改憲の大合唱が党派を超えて始まっている

それが何だ。党派を超えて始まっている、いいことではないか。
ねじれが不適当なのではない、オイラは参議院の存在が形骸化している事が問題なのだと認識している。形骸化した存在により、国政が円滑に運用されない、憲法に定められた参議院の制度が本来の意義を失っている、と国民の大多数が思えば、それはむしろ積極的に変更されるべきなのである。それが健全な議会制民主主義というものだ。この場合、少数の反対意見などにどれほどの意味があろうか。

>自衛権や、そのための戦力が憲法の中に位置付けられていないことが不自然で不都合なのだという。手品のような解釈を積み重ねてきたことに論議はあろうが・・・・・

おいおい、自分でも判っているじゃないか。そうだよ、まさにオイラはそれを指摘しているんだ。

>今の憲法の下で自衛隊は生まれ、これまで活動してきたのだ。「軍隊」を書き込むことへの抵抗感が置き去りにされていいとは思えない。

で、なんだよ、この根拠なき情緒的発想は・・・珠やレイじゃあるまいし・・・話にならん。

>適正な手続きによらなければ自由を奪わせない、税金を好き勝手に取らせない、簡単に物事を決めさせない。戦争をさせない。あらためて言うまでもなく、憲法は権力者の手足を縛るためのルールだ。

これはよく言われることだが、今の日本にそのまま当てはめることは少し違うんじゃないか。
そりゃ、Badbloke氏の好きな英国のマグナ・カルタ(大憲章)の頃は旧体制の横暴をとがめるための規範として憲法が制定される、ということはあった。それは民主主義が未熟か発展途上であった頃の話であり、少なくとも今の日本では多数参加と多数決という手続きとしては確立している。いや、されきっていると思うぞ。特にノイジーマイノリティの意見と立場がすっかり強化されてしまっている今の状況において「権力者の手足を縛る道具」というのは欺瞞の最たるものだろう。

>3日の「記念日」は過ぎたが、憲法をめぐる論議は続く。政治家任せでいいはずがない。しっかりと神経をとがらせておきたい。

このクソみたいな論説を見つけたのが少し遅くて、時期はすぎてしまったが、オイラもしっかりと神経をとがらせておきたいぜ。

平成24年4月28日付けの日経コラム「春秋」欄に次の一文があった。

天皇・皇后両陛下が火葬を希望し、併せて葬儀を簡素にするよう求められているという。「天皇の遺言」と呼んでいい内容である。それを宮内庁が発表するのもまれなことだが、何より、お二人に強烈な意思を感じずにはいられない。

その意思とは、平成の次の時代を生きる人々に負担を掛けまいというお気持ちだと推察する。少子化が進み、なお震災の痛手の中で苦しむ国、右肩上がりの夢をとうに失い、将来が見通せない国、その国をこれから支えていく特に若い世代へのメッセージが込められている。そう受け止めるのは間違いだろうか。

本紙こころのページにあった生物学者・本川 達雄さん(64)の言葉が腑に落ちた。動物にとっては長生より子孫を残すことが大切だと言い、続く。「団塊の世代が社会の重荷にならず次世代を生かし育てられるよう、率先して利他の生き方をしていかないと」。上の世代の両陛下が「率先」する姿が見えてくる。

長寿を寿ぐのは当然。一方で、長寿のツケを次の世代に回してはいけない。これもまた当然。二つの当然を満たす解を国は見つけあぐねている。ならば、長寿を享受する人自身が身を処す術を考えねばならない。そのためには天皇葬送のあり方さえタブーにしない。決断の裏にある両陛下の覚悟を思う。


股覗きの河馬に今更「敬語が滅茶苦茶である」などと説教して見ても詮無いが、言っていることは概ねそのとおりだ。両陛下の並々ならぬお覚悟がこの胸に突き刺さる。ただ、

少子化が進み、なお震災の痛手の中で苦しむ国、右肩上がりの夢をとうに失い、将来が見通せない国

だって?
陛下は、決してそんな悲観的なお気持ちではあらせられまい。
そもそも、「将来が見通せる」などという状況が古今東西かつて到来したことがあるのか?
恐らく4~50代の論説委員なんだろうが右肩上がりだの少子化だのと陳腐なことを言うな、老人党SALOONの珠やレイじゃないんだから・・・
両陛下のお気持ちはもっとずっと遠くを見ておられるのだよ。100年先、200年先・・・いや1000兆年先さ(^^;

これからの日本をどうしていくのか、増税や人権擁護や外国人参政権の提出議案は国家の存亡に関わる喫緊のことなのか?
オザワは「私が考えていることは天下国家のことだ。」と言ってたが、普天間、拉致問題、尖閣諸島や竹島、北方領土などぜんぜん言行不一致じゃないか。
国内はもとより世界各地で今この瞬間も奮闘している自衛官達に思いを致せば、今の民主党内のゴタゴタは、どう見たって天下国家からは程遠いぜ。

シリア情勢の悪化に伴いダマスカスの水製造所からゴラン高原までの物資輸送業務が激増、悪化前の32次隊が上げた半年間/338トンに比較して、50日間ですでに270トンの実績を達成した33次隊の功績に対し、4月23日、国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)のナタリオ・エカルマ司令官(フィリピン)は「日本の部隊は、人数は少ないのに水輸送など重要な任務を着実にこなしている。」と賞賛した。その一方で「リスクはあるが、軍人なのだから安全は自ら確保してほしい。」と付け加えた。
これに対して南條 衛(まもる)派遣隊長は「各国の部隊と一体となって任務を遂行している現実」を踏まえ、「政府が検討している、多国籍軍との共同防衛・警護が早期に認められることへの期待」を表明した。(読売 24.4.25)


ってよ。エカルマ司令官や南條派遣隊長が日本政府に対して何を言いたいのか判っているのか?ヒゲの隊長が以前にも同じことを言っていたが、ぜんぜん進歩していないじゃないか。「国民の生活が第一」というのはだな、まず背骨がピシッとしていることなんだよ、背骨が。

「葬送」に関しては、オイラのような土民がつべこべ言う立場にはない。ただただ、ひたすら皇室と豊葦原瑞穂国の弥栄を願うばかりだ。

皇后陛下と申せば、あの「ゆりかごのうた」のお顔が浮かんだ。ついでにあのハトの女房を思い出した。アイツがアメリカの日本人学校で歌った「さくらさくら~」だ。

http://www.youtube.com/watch?v=2cADuO6Q3dM

      皇后の ゆりかごのうたに 比ぶれば 
                   さくらさくらの なんと下品な