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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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今回紹介したアーカイブには、老人党Saloonの諸氏に理解を願いたいいくつかのポイントがある。本アーカイブで紹介された内容からピックアップする。

「我々はフセインが原爆への野望を持っていたことは感じていた。もちろん仏は無条件に原発を売ったわけではない。こちらが技術者を養成し、稼動後も指導的立場を続けることでイラクをコントロールできる、と考えていた。」(ジャック・モリゼ)

「イスラエルはイラクと敵対関係にありました。自国の安全保障という点で必要以上に警戒したのでしょう。平和目的で建設された原発が、やがてそれに限らない使われ方をする、それはイスラエルの考えであり、取り越し苦労というものですよ。」(セルジュ・ポアドヴェ)

こんなことを言ってるから、フセインが暴走したのだ。
米も仏も大国の罪は重いが、これが各国のエゴ、国際社会というものだろう。
そしてわが国のお隣で似たような、いや、もっとひどい状況が現出している。
金 日成・正日親子の核開発の状況を「誰がテポドン開発を許したか」(ビル・ガーツ)を参考にたどってみよう。

康 明道(カン ミョンド)が、亡命後「北朝鮮の最高機密(文春文庫)」にこのいきさつを詳しく書いている。

彼は金 日成の従兄弟で北朝鮮の総理を二度も務めた姜 成山(カン ソンサン)の娘婿であり、血統がよく、人民武力部直属の保衛大学研究室長などエリートの道を歩んだ人物である。
本の中身は、核ミサイル開発、国営偽ドル工場、ヘロイン密輸など、まさに北朝鮮高官しか知り得ない機密が列挙されており、ソースの信頼性が高い。

康 明道によれば、金親子が核開発を決心したのは、76年8月のポプラ事件だという。

だがブレジネフは、核開発を許さなかった。北朝鮮の核保有は、南北朝鮮の軍事的均衡が壊れ、ひいては米ソの緊張も高まるからだった。

ところが82年に登場のアンドロポフは、レーガンの軍拡に対抗すべく、「あらゆる手段と方法を動員し、朝鮮民主主義人民共和国の宿願である統一を支援する」として、北朝鮮の熱望した核開発援助に乗り出し、70人におよぶ核技術者を送り込んだ。

北朝鮮は85年12月に核拡散防止条約(NPT)に調印し、ソ連から研究用小型原子炉二基を供給され、さらにプルトニウム生産のための再処理工場の建設を開始した。

93年3月、IAEA(国際原子力機関)は特別査察で、報告内容とは「著しい相違」を見つけ、寧辺(ニョンビョン)近郊にある二つの核廃棄物貯蔵施設への特別査察を求めたが、北朝鮮はこれを拒否し、NPT脱退を決心した。
この頃、康 明道は、国家保衛部の責任者から、「核兵器はすでに完成した。問題は、この局面をどのようにしのいで、目標の20個を作るかにかかっている。」との話を聞いている。

同年5月、北朝鮮は射程1千キロのノドン1号を日本海に向けて発射、日本の国土の大半が射程距離に入った。
同年6月からのアメリカとの交渉で、NPT脱退は一応凍結されたが、翌94年3月、再びIAEA代表による寧辺の核施設査察を拒否、入国差し止めや国連代表達の身柄を拘束した。

当月19日には板門店での南北対話実務者レベル会議の席上で、「ここ(板門店)からソウルは遠くない。ソウルは火の海になるだろう」と発言し、南北会談は決裂。
国連での経済制裁決議採択は時間の問題とみられていたが、北朝鮮外務省高官は、「もし日本が国連の対北朝鮮経済制裁に参加したら、日本にははかり知れない災害がおよぶだろう」と恫喝。

クリントンは宥和政策をとることを決定し、94年10月北朝鮮との「合意枠組み」に到達、その結果、黒鉛減速型原子炉と関連施設の活動の凍結、将来の解体と引き替えに、KEDOを設立して50億ドル以上の軽水炉建設資金を援助、完成まで毎年50万トンの重油供与、さらに人道的米援助を約束した。50億ドルのうち、10億ドルは日本の負担だった。

98年4月、米国国防情報局(DIA)は、依然として北朝鮮の核開発が東倉里(トンチャンリ)泰川(テチョン)の秘密地下施設で進み、ミサイル搭載用の核兵器の開発・生産が行なわれていることを極秘報告書にまとめた。

しかし、米国務省は、北朝鮮で核開発が続けられていることを認めたがらなかった。宥和政策による「合意枠組み」が失敗であった事が明らかになってしまうからだ。

98年7月、オルブライト国務長官は上院の財政委員会で、合意のおかげで「北朝鮮の危険な核兵器開発は凍結された」と語った。それまでにも彼女は何度も、議会で同様の発言を繰り返している

8月、北朝鮮の核開発が続いているとのDIAブリーフを受けて、上院議員たちが問いつめると、オルブライトは、「自分も7月までは知らなかった」と答えた。すかさずDIAのヒューズ局長が「国務長官、それは正しくありません。DIAは1年半も前から、この情報を貴女に届けていた。」と割って入ると、彼女は口をつぐんだのだ。

その結果、東倉里の地下施設への米国調査団の立ち入り調査は、99年5月に行われたが、「施設全体は未完成で、地下には空の巨大なトンネルしかなかった」として、国務省はシロの判定を下した。

しかし、疑惑発覚の9ヶ月後の調査では隠蔽工作をするのに十分すぎる余裕だ。また監視カメラの設置や土壌、水のサンプル採取なども行われず、プルトニウムの抽出を行っているといわれる泰川は調査対象から外された。こんなずさんな査察であったにもかかわらず、北朝鮮はこの調査の見返りとして60万トンの食糧支援をアメリカから受け取っている。

(続く)

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