忍者ブログ

御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

カレンダー
03 2017/04 05
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
フリーエリア
最新コメント
[11/13 canon eos 600d kit]
[03/04 かっくるなかしま]
[11/19 tomyk]
[11/04 tomyk]
[07/30 検察OB]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ステディ ベア
性別:
男性
職業:
世間観察業
趣味:
JAZZ 演歌 讃美歌
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報
Script:Ninja Blog 
Design by:タイムカプセル
忍者ブログ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



かっくるなかしまさま、ご訪問有難う御座います。
皆様、ご無沙汰しました。

ネットにつなげない場所、でもPCは触(さわ)れたので、しばらく遊んでました。そんな中、手持ちのアーカイブを見ていたら、こんなのがあった。

「オシラク・オプション(イラク原子炉攻撃の全貌)」

そんなに古くは無い、と思うが、いつごろの放送だったのだろうか、これが面白かった。なにが、かというと、登場人物の思想、発想、思考、行動があまりにも日本(特に鳩山&老人党Saloon)の現状認識と好対照なのだ。

あのNHKのことなので、怪しい思想のサブリミナルに注意しつつ見たが、それでもオイラの知識レベルでは見ごたえ十分であった。
で、映像から書き起こして、その全容を読者の皆様に、とりわけ老人党諸氏(イワオ氏等)に紹介する。多分彼らは見ないでしょうが・・・:私の所感は例によって最後にまとめます。

注目ポイントは攻撃後の各政府関係者のコメントであり、前半は攻撃の全貌紹介なので、読み飛ばして差し支えなくもありませんが、そこに至るまでの経緯を知ることも大切だと思うので、イワオ氏、そこんとこヨロシク。

それでは始まり始まり・・・結構な長さです(^^:

(プロローグ)
1981年6月20日、イスラエルの空軍基地、8機のF-16戦闘機が出撃して行きます。これは戦闘機に搭載されたカメラの映像です。高度30メートルの低空飛行です。ヨルダン、サウジアラビア、イラク国境を越えます。攻撃目標はバクダッド郊外で建設中だったオシラク原子炉。1970年代半ばイラクのサダム・フセインはフランスに接近、核開発の合意を取り付けました。イスラエルはこれを国家存亡の危機と捉えます。


イスラエル首相「原爆で全てのユダヤ人を根絶やしにするつもりなのだ。」
イスラエル諜報機関副長官「モサドは情報収集だけでなくさまざまな妨害工作も行なった。」
イスラエル空軍司令官「最後に残ったオプションが空爆作戦の実行だった。」

(ガンカメラの映像と音声)
パイロット「ああ ユーフラテス川だ・・・目標まであと少し。」

攻撃に参加した8人のパイロット達

パイロットA「これまでの準備や訓練はこの40秒のためにあった。」
パイロットB「スローモーション映像のように原子炉は粉々に吹き飛んだ。」

史上初めて行なわれた原子力施設への空爆、それは後の国際社会に大きな影響を与えていきます。

リチャード・アレン(当時レーガン大統領補佐官)「この攻撃を機に米国との戦略的同盟が構築された。」
ジョン・ボルトン(元国連大使)「これが大量破壊兵器への先制攻撃の始まりだった。米国が核拡散の脅威を深刻に捉えるきっかけとなった。」

今、中東を舞台に続く核の疑惑、オシラク空爆作戦はどのように立案され、実行されたのか、新たな資料と証言でその全貌を蘇らせます。

(これより本編)
メインタイトル「オシラク・オプション 副題 イスラエル イラク原子炉攻撃の全貌」

オシラク原子炉空爆の発端は1975年9月、イラクのサダム・フセインが仏を訪問したことに始まります。
ジャック・モリゼ(当時 駐イラク 仏大使)「彼の訪問は仏にとって極めて重要でした。我々は経済協力について大きな期待を寄せていました。あの日私はヴェルサイユ宮殿に来るようシラク首相に呼び出されたのです。シラクとフセインには共通点がいくつかありました。共に背が高く、体格がよく、外交的で、よくしゃべり、貫禄がありました。そしてエネルギーに満ち溢れていました。フセインは若くダイナミックでとてもオープンな男、という印象でした。」

当時、世界第2位の埋蔵量だったイラクの石油、植民地時代からイギリスなど国際石油資本の支配下に置かれていました。70年代初頭、イラクの実力者として頭角を現したサダム・フセインは石油の国有化を宣言、自らの権力基盤を固めました。
さらにアラブ諸国の指導的立場も目指し、反イスラエルの姿勢を強く打ち出して行きます。
巨額のオイルマネーを手に、仏を訪れた彼には大きな目的がありました。
それは当時世界でトップクラスだった仏の核開発の技術でした。


ジャック・モリゼ「あの時フセインはシラク首相との会談後、仏のいくつかの工場を見学しました。カダラッシュへも行きました。そこには仏で最も重要な原子力発電所がありました。フセインとシラクはここで二日間滞在しました。」

翌年イラクと仏は核開発の協力を正式に調印、仏はパリ郊外にあるサックレー原発と同じタイプの原子炉をイラクで建設することに合意します。
出力70メガワット、世界最高クラスの性能を誇る原子炉、エジプト神話に登場する破壊の神、「オシリス」の名称で知られたこの原子炉はイラクでは「オシラク」と呼ばれることになります。


1976年10月、バグダッド郊外で建設が始まっていきます。
イラクと仏が核開発の合意に達した当初からイスラエルはこの動きに強い危機感を抱いていました。
事態はイスラエルに一人の政治家が登場したことで大きく動きます。


(続く)

PR

Post your Comment
Name
Title
E-mail
URL
Comment
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
Trackback URL