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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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少し野暮用が続いて・・・長期空白ゴメンなさい。また頑張ります。
急にカウンターが上がっているのは、オイラがさっき過去ログを調べたから・・・(^^;

さて、オイラは前にこんなこと書いている・・・

天皇の戦争責任に反論す-20

>こうした天皇の言動に対して、後のサヨク歴史家はこう(↓)言う。

>>「近年の歴史学的な諸研究の蓄積・進展によって、天皇の実質的権限の否定、軍部・政府の天皇無視など、天皇は一種のロボットで政策決定や戦争遂行に主体的に関与しなかった、戦況を知らされていなかった、とか言った類の天皇の『実態』からする『戦争責任否定論』は少なくとも学説レベルではかなり克服された、といって良い。・・・(1)(「昭和天皇と戦争責任」 山田 朗  2008年 歴史科学協議会編 東京大学出版会)

過去ログにある(2)以降は後述する。

今思い出しながら、だんだん腹が立ってきた。「あくまの査問官」氏の言い振りは山田 朗の主張そのものではないか。あの時は優先事項があったので山田にかまっている余裕はなかったのだが・・・
当時オイラはこう(↓)も言っている。

>保留しなければならない内容をかなり多く含んでいるが、天皇のこうした言動が国家レベルでの意思発動に影響を与えていたことは事実である。あぁ、それなのに、山田は別な論文でこれと矛盾する記述をしているのだ。だが、それはまたあとで指摘することとする。今は山田の主張にいちいち関わっている余裕などないのだ。

よし、今回からこの山田 朗(≒あくまの査問官氏)の矛盾に取り掛かることにする。

山田 朗の「天皇の戦争責任」に関する主張は「大元帥・昭和天皇」(1994年 新日本出版社)と「天皇・天皇制を読む」において全く同じなので、どちらを参考にしても差し支えない。

因みに「大元帥・昭和天皇」は何かの賞をもらっているそうだが・・・なんじゃそりゃ?
彼の主張はどちらの本を読んでみても全くロクでもないが、分析するに当たっては読者に判りやすい表現の方を選択する。先ず最初に

再掲
>>「近年の歴史学的な諸研究の蓄積・進展によって、天皇の実質的権限の否定、軍部・政府の天皇無視など、天皇は一種のロボットで政策決定や戦争遂行に主体的に関与しなかった、戦況を知らされていなかった、とか言った類の天皇の『実態』からする『戦争責任否定論』は少なくとも学説レベルではかなり克服された、といって良い。(「天皇・天皇制を読む」歴史科学協議会編)中、「昭和天皇と戦争責任」の項 ・・・(1)


だってょ・・・

「天皇・天皇制を読む」の方は協同執筆であるが、その中の「昭和天皇と戦争責任」の項で彼は「天皇は一種のロボットで政策決定や戦争遂行に主体的に関与しなかった、戦況を知らされていなかった、ということはない」、と述べているのだ。しからば、同じ本の別の項において山田の述べている次(↓)の主張を何とする。

「大元帥(天皇)を支えるスタッフとして、侍従武官長、侍従武官が居り・・・この侍従武官長の役割は非常に大きく、大元帥の軍事顧問として、天皇の軍事的判断に影響を及ぼした・・・昭和天皇に仕えた侍従武官の人数は皇太子時代からの東宮侍従武官が陸軍及び海軍各々8名、天皇になってからは陸軍25名、海軍18名にのぼるが、陸軍・海軍という大組織を一人で統括する大元帥のスタッフとしては、日常的に天皇の下にいる軍人が武官長と当直の武官一人という陣容ではあまりにも貧弱なものであった。それゆえ、侍従武官は天皇を支える軍事スタッフとしては、近代戦争に対応できるものとは言えず、大元帥としての天皇に大きな負荷をかけざるを得ないシステムであった。」(「天皇・天皇制を読む」歴史科学協議会編)中、「天皇と軍隊」の項

どうだ、矛盾してやしないか?オイラは、「大元帥としての天皇に大きな負荷をかけざるを得ないシステムだった」と言う方に1000兆バルボア賭けてもいいぞ・・・(^^;

満州事変以降、陸軍も海軍も本当に都合の悪いことは上奏しなかったのだ。特に後半の海軍は質(タチ)が悪かった。こんな話が残っている。

昭和19(1946)年10月16日、神嘗祭の前日だったが、「台湾東方海上敵艦撃滅」の報告(虚報)を受けた天皇は

『お告文に今回の戦果のことを申さずして可なりや。』と尋ねたが、松平 恒雄(宮内大臣)は『その必要はない。』と奉答した。天皇は不満足だったようで、賢所への拝礼で済ますべき神嘗祭において、皇霊殿、神殿にも拝礼された。」(「小倉 庫次侍従日記」)

半藤:軍の中では「大善」「小善」という言葉がよく使われていました。「大善」と言うのは天皇陛下のお喜びを一歩前に出て先取りして既成事実を作るということ。一方の「小善」と言うのは軍人勅諭に忠実で、忠誠の志を表すということです。此れをもっとも口に乗せ、公言したのは青年将校たちです。そう言わせたのは、やはり荒木 貞夫や真崎 甚三郎らではなかったのか。この大善・小善という考え方に軍が天皇の統帥の領域を超えていく空気が満ちていると思う。(「昭和」 半藤 Vs 保坂)

また、張作霖爆殺事件を始め、軍部(官僚もそうだった)の暴走と越権行為、又は事実の一部隠蔽は戦前・戦中のどこを切り取っても、出てくるぞ。

広島に特殊爆弾が投下されたときも、御文庫に直ちに避難されるよう勧める側近に対して、「何故そのような危険があるのか、わたしは何も聞いていないぞ」と天皇が不信感を抱かれたこと、九十九里浜の本土防衛ラインが単に砂浜に掘ったタコ壺であった事など、いちいち論(あげつら)わないが、みんな承知の事実だ。

「天皇は一種のロボットで政策決定や戦争遂行に主体的に関与しなかった、戦況を知らされていなかった」

ロボット等といやな言葉で天皇陛下を貶す心算はさらさらないが、実態は軍や官僚にとって不都合な真実は伝えられることはなかった・・・そういうことだったんだよ。
こんな支離滅裂で無様(ぶざま)な論旨が書き散らされている書のどこが

「近年の歴史学的な諸研究の蓄積・進展によって・・・天皇の『実態』からする『戦争責任否定論』は少なくとも学説レベルではかなり克服された、といって良い。」

なんだ。笑わしちゃいけない。しかも「天皇・天皇制を読む」の前書きには、

「私たちは、43名にのぼる全国の研究者の協力を得て完成して本書が、現在(2008年:ス・ベ注)において『天皇・天皇制を読む』最高水準の書物であると自負している。」(前代表委員 木村 茂光)

だとよ。馬鹿と売国奴とスパイを何百人集めようが、最高水準の書物になんかなりっこない。こんなことを前書きで堂々と臆面もなく言い募れる歴史科学協議会のノー天気振りにはさすがのオイラも恐れ入谷の鬼子母神だ。

(続く)

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