忍者ブログ

御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[11/13 canon eos 600d kit]
[03/04 かっくるなかしま]
[11/19 tomyk]
[11/04 tomyk]
[07/30 検察OB]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ステディ ベア
性別:
男性
職業:
世間観察業
趣味:
JAZZ 演歌 讃美歌
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報
Script:Ninja Blog 
Design by:タイムカプセル
忍者ブログ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

大正15(1926)年12月25日深夜、葉山御用邸において践祚(せんそ)が行なわれ、裕仁皇太子は25歳で天皇となった。元号は「昭和」に改まり、節子皇后は皇太后となった。

裕仁は天皇になるや、既に骨子が定まっていた女官制度改革を実行に移した。
皇太子時代から住んでいる赤坂離宮には良子(ながこ)皇后の為に皇后宮職が置かれたが、そこに所属する定員は女官6人、女嬬7人とされ、全員既婚、通勤制となった。側室制度は名実共に廃止されたのだった。

一方、節子(たかこ)皇太后の住む青山東御所には、良子(ながこ)皇后宮職とは別に皇太后宮職が置かれ、そこには従来と同じ典侍、権典侍などの女官の階級がそのまま厳格に保たれ、定員は合わせてなんと69人、皇后宮職と比べてはるかに多く、著しいアンバランスを生じた。天皇夫妻に対する皇太后のあからさまな挑戦を物語っている。その予兆が垣間見えるエピソードがある。

葉山で療養中の大正天皇を皇太子夫妻が見舞いに訪れたことがあったが、病室で良子皇太子妃は天皇の額に乗せる濡れタオルを白手袋をつけたまま絞ってしまった。
それに対して節子皇后は冷たく吐いた。

「相変わらず不器用なこと・・・」

良子皇太子妃は恥ずかしさのために真っ赤になった、という。このエピソードは皇后と妃殿下との(姑と嫁との仲ともいえようが)間に既に生まれていた冷ややかな空気をあらわすものとしてまたたくまに宮中雀の間に広まった。

少しさかのぼるが、迪宮裕仁が良子と婚儀を挙げた大正13(1924)年の初め、皇后節子はある意思を明確にする。

大正天皇の病状が一向に改善しないのは、これまで大正天皇と共に、宮中祭祀を軽んじ、「神」を蔑ろにしてきたことによる「神罰」と感じた皇后節子は自らの苦悩から解放されることを願い、東京帝大教授の筧 克彦が信奉する「神ながらの道」を追求しようと誓ったのである。
大事なことなので、簡単に触れておく。

神ながらの道

あら玉の 年のはじめに ちかふかな 神ながらなる 道をふまむと

大正13(1924)年の歌会始に詠んだこの歌に皇后節子は自ら次のような解説をつけている。

「神の存在をみとめ信仰を主旨として自己を大生命に帰一せしめ、世のあらゆる事実普(あまねき)道理を抱擁し、真善美愛をして全(まった)からしめ、如何なる場合如何なる事にも有り難く懐かしみ思ふ心即ち清明心晴れ晴れしたる心の意気込みを持って世にする所の道」(「大正の皇后宮御歌謹釋」 筧 克彦)

さらにこの「清明心」について筧自身は

「日本民族は男が貴いとか、女が貴いとかと、男女間の隔てをつけることを好みませぬ。『清明心』、有り難く懐かしみ思ふ心にどこまでも力をいれて居りますから、最高の 天照大御神様も女神様におはしまし、高天原にては、男神様も女神様も平等にその後分担により御行動遊ばすのみならず、建速須佐之男(たけはやすさのお)神様は、我心清明(あか)きに因って弱女(たわやめ)を得たとお喜びになったのでございます。」(「神ながらの道」)

と注釈をつけている。

皇后節子はこの歌を詠んだ後、2月26日から5月6日まで8回に亘って筧の進講を受けた。その講義とは

「女性は天皇に成り代わることは出来ないが、『最高の 天照大御神様も女神様』であるのだから、『清明心』を磨いてゆけば、自分の心に『神』を迎えることは出来る。」

「天照大御神様の和魂を根本と仰ぎ給ひ、和魂の暖かき優しき心御心情を以って有らゆる物事を大切に遊ばされた」(「大正の皇后宮御歌謹釋」 筧 克彦)


8回に亘って筧の進講を受けた」ここをよく覚えておいて欲しい。

皇后節子が迪宮裕仁摂政誕生に時機を合わせて、神への新たな信仰を深くしたこと自体にはオイラは何も異存はない。神道でありさえすれば何でもどうぞご勝手に、というわけだ。

だが、あれほど皇太子の洋行や虎の門事件に彼の身を案じて神へ祈りを捧げた皇后だったのに、新たな信仰の深さの反作用の如く、手のひらを返したように、皇太子への異常ともいえる反発心が増幅していったことに全く得心がいかないのである。

その反発心は天皇になった裕仁及び后(きさき)に向けられ、単なる相性の悪さの域を超えて、やがては憎しみとも取れる場面さえ現れてくるのだ。

(続く)

PR

Post your Comment
Name
Title
E-mail
URL
Comment
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
Trackback URL