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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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いやーすんません。今、掻き入れ時なモンで・・・エントリーアップ遅れました。
毎日訪ねて下さる方々にはホントに申し訳ありません。
また気合いを入れて書き込みますので、どうぞよろしく。ほんじゃまぁ行ってみよー!

(前掲)
だが、天皇の心をかき乱す存在が身近にまだ二人もいた。一つ下の弟と、母である。

まず、この話を進めるためにどうしても避けて通れない話がある、2・26事件である。

事件のあらましはこのブログをお読みの方は良くご存知のことと思うけど、オイラ自身の頭の整理のために少し振り返ってみたい。
その陸軍の混乱振りを象徴的に示した「大臣告示」について史料を参考にまとめていく。

なお、事件の細部については、時系列にそのまま書くと長くなって反って理解しにくくなるので、※印で別に書き出した。それぞれ※印を見ていただければ、そのときの状況はご理解いただけると思う。
事件に関わる主要な人物を中心に追う。昭和11(1936)年の話である。

2月26日
4時すぎ 真崎 情報を事前に入手(※1)

未明  各部隊 行動開始(部隊ごとに異なるがおおむね四時半頃)
5時  栗原 安秀隊 岡田首相官邸 突入 以下、各部隊ごと各目標に突入

8時半 真崎 占拠された陸相官邸を訪問 占拠部隊の磯部大尉及び川島陸相と面会(※2)

9時  真崎 伏見宮邸を訪問 天皇への拝謁を進言(※3)

10時すぎ 川島陸相 皇居へ参内 

10時40分頃 香椎中将(東京警備司令官)のもとへ山下少将(軍事調査部長)が訪問(※4)

10時50分頃 近衛師団(皇居警備担当)あて、「大臣告示(-1)」が伝達される(※5)
 同じ頃    川島 拝謁(※6)
正午過ぎ 皇居にて軍事参議官会議 開催(非公式で天皇抜き) (※7)
     青年将校たちを納得させるための大臣談話「大臣より」完成(※8)
15時  香椎 決起部隊に対し「軍隊に対する告示」を発令(※9)
15時20分 香椎 「大臣告示(-2)」を電話で東京警備司令部経由 全軍に下達(※10)
 同時刻   山下 陸軍大臣室において青年将校の前で「大臣告示(-2)」を三度読み上げる。

27日
3時  九段会館に戒厳司令部設置

28日
5時8分 奉勅命令 発布

29日
8時55分 投降勧告放送開始「今からでも遅くはないから原隊へ帰れ」(香椎中将)
14時過ぎ 兵隊の全てが原隊へ復帰

3月4日 東京陸軍軍法会議 開設(長 寺内寿一陸軍大臣)

昭和12年9月25日 全公判終了(※11)

軍法会議で陸軍の迷走は頂点に達するのだが、それはここでの主題ではない。主要なテーマはこの一連の事件と秩父宮との関連なのでこの辺りで止めておく。

まぁ、ざっと眺めてこんな感じだが、その前にもいろいろな動きがあった。

昭和10年8月12日 皇道派 相沢 三郎中佐 統制派の永田 鉄山軍務局長(少将)を斬殺

昭和11年
1月21日 「其の通りに放置せば吾人の自滅を待つのみ。無為にして終わるも愚なり」(真崎日記)
1月28日 磯部 浅一 真崎邸を訪問
「統帥権干犯問題について決死的な努力をするので、閣下も(資金援助の)ご努力願いたい」
「俺もやるんだ」
2月21日 第1師団(急進派青年将校の牙城)の満州移駐決定 この決定に、青年将校は昭和維新の機会を失うと焦って行動を決断するに至る。
2月23日 「皇族の働きかけによっても、天皇側近の排除に成功しなければ、もはやテロは避けられない」(真崎日記)

さらに時系列に追った出来事の合間の補足説明(※)は、26日だけでも多くの事情が隠されている。秩父宮のほうを読みたい方にはいま少し辛抱してもらいたい。

(※1) 真崎 政界の事情通から「部隊の行動」の通報を受く

(※2) 指定を出発時、陸軍自動車部隊に連絡を取って、自動車を専用に一台回してもらっている。この日一日中車が必要である、と認識していたものと思われる。
さらにこのとき真崎は正装(旭日大綬章を装着)で占拠中の陸相官邸に来ている。組閣の準備を整えていたことが強く伺える。

彼と占拠部隊の磯部大尉との会話 
「閣下 統帥権干犯の賊類を討つために決起しました。状況はご存知でありますか。」
「とうとうやったか、お前達の心はようくわかっとる」
「どうか善処していただきたい」

真崎は続いて青ざめている川島義之陸相を一喝
「すぐに戒厳令を敷け」

(※3) 皇族最長老の海軍実力者を訪ねた理由は何か。真崎は組閣を念頭に打ち合わせに行ったと思われる

(※4) 山下は真崎が到着する前に既に青年将校たちから突き上げられていた。

(※5) 「大臣告示-1:蹶起の趣旨に就いては天聴に達せられあり  諸子の行動は国体顕現の至情に基くものと認む」
これは山下と香椎が相談して勝手に発布した疑いが極めて濃厚である。

皇居を護衛して決起部隊とにらみあっていた近衛師団長 橋本 虎之助の軍法会議における回答書に由れば「『大臣告示-1』は午後に正式に下達された『大臣告示-2』の4時間前に伝えられた。」

橋本は統制派に近い人物で、皇道派とは相容れない立場にあった。
あたかも決起部隊の行動を容認するかのようなこの「大臣告示-1」が決起を鎮圧する立場の橋本の部隊に伝えられたため、最初にこれを受け取った橋本はその真意をつかめず、即座には部下に伝えていない。

(続く)

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