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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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「開戦の詔勅」には国際法の遵守をめぐる文言が入っていない。

エントリー-13 一部再掲
・・・・10月13日 荻外荘会談の翌日、天皇が『日米問題を中心に種々語られた』中で、木戸 幸一内大臣が自分でこれは重要だ、と思って書き留めたものが二つあった。
一つは『宣戦の詔勅』についての注文(国際法遵守の項が抜けていること)であり、もう一つは『戦争終結』についての方法である・・・・

「国際法の遵守」は天皇が最も懸念していた事項のひとつであったにも拘らず、である。
「開戦の詔勅」に国際法の文言が入っていないことにどのような意味があるのか。
天皇の懸念と東条の対応及び認識から解き起こさなければならない。
ことは、タイのシンゴラ湾への上陸問題であった。

昭和14年度の「帝国海軍作戦計画」におけるマレー及びシンガポール攻略計画に天皇が質問した。
上奏したのは閑院宮(当時陸軍参謀総長)である。

「『マレー攻略の上陸地点として、タイのシンゴラ湾を選定したというが、これはタイ国の中立を犯すことになると思う。この点はどうか。』これに対して参謀総長が返答に窮していたところ、陛下は声を励まされて、さらに発言された。『故なく第三国の中立を侵害することは、正義に反することである。自分はこのような計画を認めることは出来ない。考え直せ。』とお叱りであった。」(「大本営海軍部」 山本 親男 当時軍令部作戦班長)

翌朝、再び両総長(閑院宮と伏見宮軍令部総長)が参内し、タイ国領内への上陸は、事前交渉によってタイの了解を取り付ける計画がある旨を奉答し、ようやく裁可を得た。
しかし、天皇の懸念は

エントリー6 再掲
「軍部は統帥権の独立ということをいって、勝手なことを言って困る。ことに南部仏印進駐にあたって、自分は各国に与える影響が大きいから反対であると思い、杉山に国際関係は悪化しないのかと訊ねたところ、杉山はなんら影響はない、作戦上必要だから進駐します、と言うので仕方なく許可したが、進駐後、英米は資産凍結令を下し、国際関係は杉山の話とは反対に非常に日本に不利になった。陸軍は作戦、作戦とばかり言って、本当のことを言わないので非常に困る。」(「一皇族の戦争日記」東久邇 稔彦)

などに見るように、しばしば裏切られていた。天皇は陸・海軍の作戦指導者に対して不信感に満ち満ちていた。対英・米戦が決定された12月1日の時点でも、天皇は東条にこの点を懸念している。

「(天皇は)『開戦の勅書』に国際法遵守の項が抜けている点を何度も念をおされた。」(「侍従長の遺言 昭和天皇との50年」 徳川 義寛)


これに対して

「東条さんは(国際法遵守の文言を入れない)理由として、タイがシンゴラ湾への上陸を認めるかどうか判らない事情を挙げ、『(もし、タイが上陸を認めなければ)それ(国際法遵守の文言)を入れると、陛下ひいては日本が嘘をついたことになります。』と説明した。」(同上)

開戦の勅書に国際法遵守の文言を入れることは、「陛下が嘘をつくことになる。」という狡猾な答え方により、「国際的に嘘をつく(可能性のある)責任」を天皇に投げ返したのである。
東条からこう投げ返されれば、天皇としては国際法遵守の文言をどうしても入れよ、とは言えなくなる。かくして、

「そこで陛下は主義としては(国際法の遵守の項を抜かすことは)認めないが、やむを得ずお認めになったのです。」(同上)

別の史料も見てみよう。

「天皇はこの決定(開戦)に従うことになったのだが、東条には二つの注文をつけた。ひとつは開戦の詔勅に国際法の遵守を入れるべきだという指摘であった。しかし東条は第25軍のマレー半島攻撃は中立国タイの主権を侵害するものであるので、その1項は入れられない、と答えた。もうひとつは、英・米・蘭などには攻撃通告を事前に行なって欲しい、との注文であった。東条も東郷外相もこの点ではワシントンの日本大使館に正確に指示している、と答えた。天皇からのこうしたふたつの懸念は結果的にどちらも裏切られることになった。」(「昭和天皇」 保坂 正康)

「第25軍のマレー半島攻撃は中立国タイの主権を侵害するもの」なのであれば、もはや最初から国際法違反を前提に作戦を進めているではないか。国際法をなんと考えているのか。

東条は首相になる1年近く前、昭和16年1月8日、陸軍大臣として「戦陣訓」を作らせている。
その要諦は第2節第7項「生きて虜囚の辱めを受けず 死して罪科の汚名を残す勿れ」であろう。当時は戦時体制下であったから、戦陣訓はいわば「国民道徳」として下達されたに等しかった。

かつて小野田 寛郎氏がジャングルから帰還されたときに、記者団から何度も繰り返された質問に「戦陣訓を守ったのか」と言うのがあったが、故山本 七平氏は戦争を知らぬ若い記者の無知をなじると共に「愚かな質問をするものだ。戦陣訓を頭に入れて行動した下級兵士など居るものか。」と憤慨している。

確かに戦陣訓など下級兵士の間では飾り物に過ぎなかったが、戦争指導者はこうした精神論を元に絶対服従を強いた。それが、明らかに理不尽なものであっても、上官や軍の命令は結局のところ「戦陣訓」に言う「現人神」である天皇の命令である、として、命令に有無を言わせぬ力を持たせたのである。

と同時に、自己の生命の軽視はそのまま俘虜に対する処遇などにも通じ、武藤 章参謀の振る舞いに見られる如く、戦場における国際法への認識は希薄となった。日露戦争時にあった「白旗伝説」(※)などには関心もなかったのだろう。

なるほど、ならば極東裁判において居並ぶ指導者達が「自分は天皇の命令に絶対服従して行動しただけだった」などと、「シレッ」として弁明できるわけだ。

中立国タイのシンゴラ湾に上陸するその明らかな違法性を、「それを書き込むと国際法違反になる可能性があるから、国際法遵守の文言を『開戦の詔勅』に入れない」、とする発想は「能吏」の方便に過ぎない。

天皇と違い、国際法を守って「文明の衝突」である戦争をする、という意識は最初からなかった。

東条を初め当時の参謀たちには、プロとして必要不可欠な「国際法の遵守」などという発想はなかったのだ。

(※)「白旗伝説」
http://ubusuna2.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ef5f.html

(続く)

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