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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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11月5日の御前会議、前回から2ヶ月を経ている。本来ならば、10月の初頭に一回開かれているはずであった。しかし、10月初頭とは「外交交渉の期限」だった(陸軍が勝手に決めていた)が、外交交渉はまったく頓挫しており、和平を目指した荻外荘会談でも意見はまとまらず、政府として何かを天皇に報告できる態勢ではなかったのである。

この2ヶ月間、大事な時期にこの国の政権は大きく動揺し、誰が責任を持って正しい方向に導いているのか全く不明、という混乱の極みであった。

それでも天皇からの

「帝国国策遂行要領にとらわれず、広く、深く検討し、慎重なる考究を加えることを要す」

という指示を受けた東条新首相の指導の下で立案した、新「帝国国策遂行要領」が会議で上奏された。その内容とは

1 帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし、大東亜の新秩序を建設するため、この際対米・
英・蘭戦争を決意し、次の処置をとる。
(1) 武力の発動時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完遂す。
(2) 対米交渉は別紙要領によりこれを行なう。(別紙省略)
(3) 独・伊との連携強化を図る。
(4) 武力発動の直前、泰との間に軍事的緊密関係を樹立す。
2 対米交渉が12月1日午前零時までに成功せば、武力発動を中止す。

・・・なんと、字面(ヅラ)は前回と何も変わっていない。
散々もめにもめて出来上がった「新-帝国国策遂行要領」というのがこれであった。

「これを見ると、なんだか戦争が主で、外交が従のように読めるが・・・」

前回会議での天皇の長嘆息が再び聞こえてくるようである。
天皇はこの結論の行く末に不安を持ち、ぎりぎりまで外交交渉に望みを託した。
すなわち対英・米(蘭)戦の「条件付き承認」である。

両総長は御前会議終了後、直ちにそれぞれ「帝国陸軍全般作戦計画」、「対米英蘭帝国海軍作戦方針」を上奏し、その裁可を得て矢継ぎ早に作戦準備を発令した。
すでにこの日の朝、野村 吉三郎駐米大使を補佐する来栖 三郎特命全権大使は最後の日米交渉案(甲・乙)を持って海軍機で飛び立っていた。

準備とはいえ、「戦争決意」である。あとは12月1日を待つだけの機密戦争日誌の記述を追う。

「大風一過、昨日の興奮も醒めたり。明治節の佳節にあたり、皇国の前途を祝福せんとす。願わくば外交成功せざらんことを祈る。」(11月3日)
「来栖大使の飛行機遅々たるは可。『ル』大統領、来栖大使を迎うるの態度に熱意なきが如きはまた可なり。乙案成立を恐る。」(11月13日)
「昨は妥結、今日は決裂、一喜一憂しつつ時日は経過す。一刻も早く12月1日の来らんことを祈る。」(11月17日)
「野村電到着。乙案提示せるところ、「ハル」は援蒋中止に関し、援英中止要求と同様なりとて、大いに不満の態たりしが如し。さもあるべし。これにて交渉はいよいよ決裂すべし。芽出度し芽出度し。」(11月21日)
「対米交渉の峠もここ数日中なり。願わくば決裂に到らんことを祈る。」(11月23日)


「機密戦争日誌」はあくまでも参謀本部第20班(戦争指導担当)のもの、述べられているのは記録係の班員(中佐、少佐)の意見であり、陸軍の総意ではない。しかし、同時に日誌は公式記録であり、個人の日記ではない。その公式記録に堂々と上司を批判し、国家に我意を通そうとする気持ちを表明する、ここに当時の少壮将校の思い上がりと実力のほどがうかがえる。

しかし、だからといって、開戦を主張したのは彼らだけだったわけではない。
なにより国民は大政翼賛であり、東郷 茂徳外相が就任早々、非戦派の外交官や主要事務官等四人を辞任させたように、外務省にも主戦派は居たし、他の官庁や財界にも開戦派は居た。海軍ももちろん例外ではなかった。

「いまや、海軍が主役を演ずるときが来た。」(巡洋艦「香椎」艦長 12月5日の訓示)

もし海軍にも機密戦争日誌があったなら、そこには軍令部少壮将校の過激な意見を見ることが出来たであろう。さらに「日誌」が開戦を主張するのは、その意見が彼ら少壮将校だけのものではなく、参謀本部の主要幹部もまた同意していたからに他ならない。

では、なぜ参謀本部がかくも強く戦争を主張したのか・・・作戦に自信があったからである。

(続く)

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