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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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近衛は全ての後始末を放擲し、

「・・・臣は衷情を披瀝して東条陸軍大臣を説得すべく努力したり。これに対し陸軍大臣は・・・時機を失せずこの際開戦を決意すべきことを主張して已まず。懇談四度に及びたるも遂に同意せしむるに至らず・・・」(近衛公の手記)

と、東条の頑固さをこぼして退陣した。
回顧録には前述の「細川 護貞に車中で打ち明けた本心」などは書かれていない。
その東条に組閣の大命が下り、10月18日、東条内閣が誕生、彼は同日付で大将に昇任した。

「如何なることあるといえども、新内閣は開戦内閣ならざるべからず。開戦、開戦、これ以外に陸軍の進むべき途(みち)なし。遂に“サイ”は投げられたるか。」(10月19日 機密戦争日誌)

陸相時代には陸軍のことだけを考えて任務に邁進していた東条であったが、組閣の際、木戸を通じて「帝国国策遂行要領にとらわれず、広く、深く検討し、慎重なる考究を加えることを要す」との天皇からの指示を受け、その生真面目な性格から、彼は職務、立場に忠実であらんことに心がけた。
そんな東条の音頭とりで、新内閣発足と同時に連日、連絡会議が開かれたが、参謀本部はこれが気に入らなかった。

「陸相は絶対に目途なしとして内閣を倒したものなり。いまさら目途なき外交交渉を続行し、決心を鈍らせるは国家の不為ならずや、陸相に節操ありやと問いたし。」(10月23日 機密戦争日誌)

それでもなんとか10月30日、連絡会議は「開戦に伴う11項目の内外の諸問題」の検討を終え、これを受けて翌31日、参謀本部は部長会議を開き、「即時対米交渉断念、開戦決意、12月初頭戦争発起。今後の対米交渉は偽装外交とす。」という結論を出す。
第20班(戦争指導)は「もしこれ以外の案でまとまるときは『会議決裂に導くべし』」との但し書きまで添えている。

11月1日の連絡会議は午前9時からの予定であったが、それに先立って、午前7時半から1時間、東条は杉山参謀長と打ち合わせをした。そこでは東条が

1 戦争を極力避け、臥薪嘗胆する。
2 開戦をただちに決意し、政戦略の諸施策をこの方針に集中する。
3 戦争決意の下に、作戦準備を完遂するとともに、外交施策を続行してこれが妥結に努める。

を提示し、検討を求めていた。さらに、自分としては第3案で行きたいと語り、次のように付け加えた。

「お上は正々堂々とやることをお好みになることも考えると、いま開戦を決意し、その後偽装外交をやることはお聞き届けにならぬと思う。しかし、この案を統帥部として成功せしめる自信があるなら、やられてもよろしい。」

これに対して杉山は

「もし外交が上手くいけば、準備した兵を下げることとなるが、これは困る。内地から20万、支那からもやるべき作戦を止めて兵を送っておる。兵を南洋にまで出して、戦争をしないで退けたら士気に関す。統帥部としては、『国交調整断念』『戦争決意』『戦争発起は12月初旬』『作戦準備開始』『外交は戦争が有利になるように図る』を主張したい。」

東条は

「お上に納得していただくのは容易ではない。お聞きにならぬと思う。」

このあと連絡会議は午前9時から翌日午前1時半まで約16時間ぶっとおしで行われた。
詳細の会話は省略するが、ここで述べておきたいことは、会議の席上で、穏健な外交交渉派を尻目に相変わらず海軍側は優柔不断振りと、内部の意思不統一を露呈していた。

一方、陸軍側には開戦に積極的な発言が際立っていた。特に主戦派だった塚田 攻(もとむ)参謀本部次長(中将)などは、少し譲歩的意見を述べた嶋田 繁太郎海軍大臣(大将)に対して、「だまらっしゃいっ」と一喝するほどであった。

結局、連絡会議での結論は第2案と第3案の折衷案として、先の杉山案のうちの「国交調整断念」の「期限を11月30日とする」ことが明らかになっただけで、あとは杉山案のとおりとなった。これとて「戦争発起は12月初旬」なのだから、当たり前の話であり、早い話が何もかもが陸軍の思惑どおりとなったのである。

さて、11月5日の「御前会議」である。「運命の御前会議」は12月1日であるが、この11月5日の会議もまた重要な意味を持っていた。

(続く)

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