忍者ブログ

御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[11/13 canon eos 600d kit]
[03/04 かっくるなかしま]
[11/19 tomyk]
[11/04 tomyk]
[07/30 検察OB]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ステディ ベア
性別:
男性
職業:
世間観察業
趣味:
JAZZ 演歌 讃美歌
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報
Script:Ninja Blog 
Design by:タイムカプセル
忍者ブログ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ここで近衛や東条のグダグダぶりを詳しく述べた目的は「昭和天皇に戦争責任と言うものがあったか。もしあったとすればそれはいかなる性質のものか。」を明らかにするためである。
そのためには、当時の関係者を舐めるように辿らなければならない。

コイツ(↓)のごとく、「あることないこと」ならぬ「ないことないこと」を書きなぐり、散々駄法螺(ダボラ)を吹いた後、飽きたと見るや結論も示さずにどっかにふけてしまうようなぶざまな真似だけは絶対にしたくない。

「天皇制を考える」 Badbloke 世直し老人党
http://memweb.net/bn/Mc.exe?Parm=newrojin!NSKiji&Val=DATA!NSN0071&FTSIZE=12


続けよう。
荻外荘会談は完全に物別れに終わった。2日後、14日の閣議前に、近衛は東条に「駐兵問題に関しての再考」を求めて、再度対話をしている。
ここで近衛は「支那事変に自分は重大な責任がある。」とか、今はアメリカと妥協して「日米戦争の危機を救うべきである。」と述べている。これを読むと、彼が正に「知性のひと」であることが判り、その「誠意」も疑いない。

しかし、東条がひとたび「撤兵問題では米に屈することは出来ない」と抵抗すれば、これを説得する力は見当たらない。
東条が「アメリカとの外交交渉が成立する十分なる確信があるのか」と問うならば、その論理を逆手にとって「では戦争をして勝てるに十分なる確信があるのか」と反問するだけの強さがないのである。
東条は最後に「これは性格の相違ですなぁ・・・」と嘆声を漏らして部屋を出て行った、という。

「-9」のエントリーでも述べたが、軍部は、天皇の意図とは裏腹に、9月6日の御前会議での「十月上旬」を「外交交渉」の限度と勝手に見なし、9月20日の時点では「11月16日」を開戦予定日(最終的には「12月8日」)と想定し、政府(近衛)に10月15日までに外交交渉の決着をつけよ、と迫っていた。

直後の閣議において、東条は「本日は10月14日である。十月上旬と言うのに、すでに14日で御座る。」

近衛「(結果的に陸軍を説得できないので)日米交渉はもはや継続しても意味はない。」

他の閣僚たちは皆押し黙ったままであった。
ここにおいて、近衛は内閣を運営する意欲を完全に喪失した。もちろん日米開戦後の政治などには到底思いが及ぶはずもなかった。
翌15日は統帥部が要求した期限である。近衛の回答は総辞職(翌16日)であった。

「・・・支那事変のいまだ解決せざる現在においてさらに前途の透視すべからざる大戦争に突入するが如きは、支那事変勃発以来重大なる責任を感じつつある臣文麿の到底忍び難き所なり。」

近衛は辞職理由をそのように上奏しているが、支那事変のみならず、日米交渉も御前会議での「帝国国策遂行要領」も全ては近衛の責任ではなかったのか。

政治は優れてリアリズムの世界である。国家対国家が衝突したあの時期、自国を守るために権謀術数を駆使し、相手をねじ伏せ、裏を書き、出し抜き、虚実取り混ぜて欺く、サプライズなんか当たり前、これが出来ずに政治家が務まるはずはない。
世には知性あふれる学者はごまんと居ろうが、学者に政治は出来ない。ましてやたとえ如何に正論を吐こうとも批評家や評論家では務まるはずがないのだ。

ところが、荻外荘会談の蚊帳の外に置かれた天皇はここで驚くべきリアリズムを発揮されるのだ。
10月13日 荻外荘会談の翌日、天皇が「日米問題を中心に種々語られた」中で、木戸 幸一内大臣が自分でこれは重要だ、と思って書き留めたものが二つあった。
一つは「宣戦の詔勅」についての注文(国際法遵守の項が抜けていること)であり、もう一つは「戦争終結」についての方法である。

「対米・英戦を決意する場合には尚一層欧州の情勢殊(こと)に英独、独ソの和平説等を中心とする見透し、及び独の単独和平を封じ、日米戦に協力せしむることにつき、外交交渉の必要あり。
また、戦争終結の場合の手段を初めより十分に考究し置くの要あるべく、それにはローマ法王庁との使臣の交換等親善関係につき、方策を樹(た)つるの要あるべし」(木戸 幸一日記)


同盟を結んでいるドイツの動きに注意を払い、「単独和平」などの勝手なマネをさせないように、またわが国に協力させるようにもっと努力せよ、と仰っているのだ。松岡 洋右などと違い、そもそもドイツを信用していないのである。外交戦略を敏感に捉える政治家なら思い至ることであろう。

しかし、その対英・米戦を始めるに当たって、「国際法の遵守」とともに「戦争終結の場合の手段」を想定しておく、という発想は近衛にはもちろん東条を始め主戦論者の誰一人として思いつかないものであった。
この「戦争終結」についての政治的思考こそがきわめて重要なのである。
しかも、その具体的な「手段」としてローマ法王庁を想定する、というのは奇策のようにも考えられるが、天皇としては周到に思い巡らせてのことだったのだろう。

この発想は皇太子として外遊の際、バチカンを訪問し、ローマ法王ベネディクト15世に会見した体験に遡るのである。国家の危機に際してローマ法王とのチャンネルを使おうとした発想はこのときから温存されていたものと思われる。

実際の法王庁への公使派遣は開戦後五ヵ月を経てからであったが、このアイデアが情報の飢餓状態にあった天皇の心の中に開戦前に生まれていたという点は天皇おそるべし、というべきである。
能吏ではあるが軍人官僚の東条や、知性の人ではあっても政治家としては力量が著しく劣る近衛にはこの天皇のリアリストぶりは期待すべくもないのである。

(続く)

PR

Post your Comment
Name
Title
E-mail
URL
Comment
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
Trackback URL