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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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10月12日 東京荻窪の近衛の私邸「荻(てき)外荘」に東条、及川海相、豊田外相、鈴木企画院総裁の首脳達が集まって会談が開かれた。天皇は不在である。

この会談に先立って、海軍から総理への根回しが出来上がっていた。
その内容とは米内光正ら海軍長老の「陸軍の方針に巻き込まれるな」という及川への忠告であり、及川の自宅へ軍務局長が呼ばれ、さらに軍務局長から書記官長へと、及川の意向が伝えられたのである。以下の会話は「近衛公の手記」からの引用である。

「海軍は日米交渉の破裂を欲せず、戦争を出来るだけ回避したい。しかし海軍としては表面に出してこれを言うことは(陸軍との対立を招来するから)出来ない。会議においては海軍大臣から『和戦の決は首相に一任する』、と述べるはずになっているから、そのお含みで願いたい。」

会談は午後2時から始まった。まず、豊田外相が

「日米交渉は妥結の余地はある。支那の駐兵問題(撤兵問題)で日本側が何らかの譲歩を考えればよいのだが・・・」

撤兵の譲歩の意思をいささかも見せない東条へのあてこすりである。
これに対して近衛は「アメリカは日本側の主張をまだ十分に理解していない」と同調したが、援護射撃としては弱弱しい。

東条は9月6日の御前会議以来、天皇の意思に従う態度を見せていたが、この荻外荘会談の2日前から態度を硬化させていた。その原因は、東条の元へ届いていた別な情報にあった。
三国 直福(とみ)軍事調査部長が持ち込んだ次のような情報であった、曰く

「木戸を中心とする宮中、首相、外務省、海軍が連合して陸軍を包囲し、アメリカの提案(撤兵問題)を呑ませるべく圧力をかける。」

三国はこれのソースを陸軍省詰めの記者と言い、真偽のほどは不明、と付け加えたが、東条の態度を硬化させるには十分であった。

東条「今度はおれの番か。おれを辞めさせようったって簡単じゃないぞ。おれは松岡(※)じゃない。松岡の二の舞になんかなるものか。」

いかにもありそうな話だが、逆にもし陸軍省内の主戦論者が東条を挑発するために流したデマだとすれば、それはそれで大成功であった。これ以後、東条は近衛や豊田を敵視し、感情的な主戦論へと傾斜していったからである。

※ 松岡 洋右(三国同盟、日ソ中立条約、日米交渉の項)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3

近衛の後を受けて、約束どおり及川が「総理に一任したい」旨、発言した。ところが、及川は近衛の手記によれば

「いまや和戦いずれかに決すべき関頭に来た。その決定は総理に一任したい。で、和でいくならばどこまでも和で行く。すなわち多少の譲歩はしても交渉をあくまでも成立せしめる、と言う建前で進むべきである。交渉半ばにして交渉を2、3ヶ月してから、どうもこれじゃぁいかん、というので、さあ、これから戦争だ、と言われては海軍は困る。戦争をやると決すれば、今ここで決めなければならん。今がその時機だ、最後の時機に来ている。やらないと言うことであれば、あくまで交渉を成り立たせると言う建前の下で進んでもらいたい。」

これが事実の記述ならば、今読み返して見ても、実に腹立たしい、まったく余分で、もって回った長口舌である。

「今ここで決めなければならん」という決断を迫られた近衛は結論めいた発言をした。

「今日ここでいずれかに決すべしというならば、自分は交渉継続と言うことに決する。」

ここで、近衛が荻外荘会談の結論に達していれば、決断を下すべきときに下した「実行力」のある政治家だった。そのためには、支那からの撤兵は認められない、という陸軍の主張を押さえつける論理が必要である。そして、近衛は昭和13年12月22日の「第三次近衛声明」で「支那からの撤兵」を表明していたのである。

だから、アメリカの交渉はこの「第三次近衛声明」を実行するに過ぎない、と陸軍側を論理的に押さえつければいい。
その「政治上の実行力」があればいいのだ。
ここで東条は先の結論めいた近衛の発言に対して近衛と豊田に対して次のように言った。

「納得出来る確信があるなら戦争準備はやめる。確信を持たなければ総理が決断しても同意は出来ない。現実に作戦を進めているので同意出来ない。これを止めて外交だけやることは大問題だ。少なくとも陸軍としては大問題だ。十分なる確信がなければ困る。」

近衛がこのとき「第三次近衛声明」を楯にとりながら、「確信がある」と答えていれば、東条としてはそれで陸軍内の主戦論者を当面は抑えられたであろう。ところが・・・

(続く)

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