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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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8月5日 東久邇宮拝喝の際の、当時天皇のお持ちになられていた感想を再掲する。

「軍部は統帥権の独立ということをいって、勝手なことを言って困る。ことに南部仏印進駐にあたって、自分は各国に与える影響が大きいから反対であると思い、杉山に国際関係は悪化しないのかと訊ねたところ、杉山はなんら影響はない、作戦上必要だから進駐します、と言うので仕方なく許可したが、進駐後、英米は資産凍結令を下し、国際関係は杉山の話とは反対に非常に日本に不利になった。陸軍は作戦、作戦とばかり言って、本当のことを言わないので非常に困る。」(「一皇族の戦争日記」東久邇 稔彦)

これは8月1日の杉山参謀総長による「満州への第二次派遣に関する件」上奏4日後の感想である。
この時点で天皇は杉山のいい加減さ、参謀本部の危うさに強い危機感を抱かれていたことが判る。

また、9月5日の例の「シナが広いと言うなら太平洋はもっと広いぞっ」と仰られたくだりとその後の「シャーシャー」としていた反応、さらに9月9日に行われた「対南方動員」に関する上奏と、杉山の一連の言動から来る不信感は天皇をして10月6日に次のようなことを言わせている。

「杉山はどうもあまり適任とは思われぬ。迭(か)えたがよくはないかと思うが、近衛の考えはどうか。後任は東久邇宮はどうかと思うが、近衛はどう考えるか。」(「秘録抜粋」 高木 惣吉)

天皇は昭和16年9月の段階で杉山参謀総長の日米開戦計画に疑義・苦言を呈し、その1ヵ月後の段階で彼の更迭を近衛に相談しているのだ。

これに対して近衛はうかつに答えると内閣(政府)が「統帥人事権」に介入したことになる、すなわち「統帥権干犯」を恐れ、「奉答に苦慮した」とある。その結果、何の対応もとらなかった。

かつて近衛は東久邇宮の発言を借りるかたちで次のように書き残した。

「日米戦うや否や、という緊迫した空気の中で、自重論者であらせられた東久邇宮殿下の『陛下が屹然としてご裁断あそばさるる以外に方法なし』に対し、『軍にも困ったものだ』とお答えになられたと拝聞する。その時殿下は『陛下が批評家のようなことを仰せられるのは如何でありましょう、不可と思し召されたら、不可と仰せられるべきものではありますまいか』と申し上げたと承っている。」(近衛公の手記)

近衛は「天皇が批評家のようなことでは如何か」と言っているのである。しかし、一方で次のようにも書いている。

「・・・日米交渉難航の歴史を回想して痛感せらるることは統帥と国務の不一致ということである。そもそも統帥と国務とが独立していることは、歴代の内閣の悩むところであった。今度の日米交渉に当たっても政府が一生懸命やっている一方、軍は交渉破裂の場合の準備をどしどしやっているのである。しかもその準備なるものがどうなっているのかは我々には少しも判らぬのだから、それと外交と歩調を合わせる訳に行かぬ。船を動かしたり動員したりどしどしやるので、それが米国に判り、米国はわが外交の誠意を疑うことになると言う次第で、外交と軍事の関係が巧くいかないのには困ったものであった。」(近衛公の手記)

たしかに統帥権の独立の悩みは判る。しかし近衛内閣は、日米交渉の決裂に先立つ日華事変(日中戦争)の泥沼化に際して、「国民政府を対手(あいて)にせず」(昭和13年 第一次近衛声明)と言っている。このことは政治のほうから日中戦争の解決を放棄したものではないか。そのことに関して近衛はどういう認識だったのか、「手記」にはその記述はない。

日米戦争はハル・ノートが日本軍の中国からの全面撤退に触れていたように、本を糺せば日華事変の泥沼化、すなわち「解決不能」の日中戦争の上に惹き起こされたものである。そのことに対する近衛の認識は極めて薄い。

たしかに近衛には「統帥人事権」はなかったが、仮にも一国の総理大臣である、その総理大臣の口から「軍は準備をどしどしやっている」と言う様な「批評家のような」ことを言われても困るのである。

結局、近衛は一身を擲(なげう)ってでも戦争に向かう動きを食い止めようとする政治家ではなかったのだ。政治的決断をしないのだから、政治に対する責任と言うものが生じようはずはない。

杉山 元はこの後18年には元帥に昇任し、19年まで参謀総長を務めた。参謀総長の後は教育総監、陸軍大臣まで上り、最後は第一総軍司令官で終戦を迎えたが、日中戦争及び大東亜戦争終結のために何らかの指導力を発揮した、ということはない。
最後は牛込に在った第一総軍司令部でピストル自殺を遂げている。

(続く)

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