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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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>【2947】Re: 日本側責任者をはっきりさせたい
>昭和 人 08-8-18 21:21
>天皇が終戦の決断(ポツダム宣言の受諾)を決め、戦争を止めさせたことを評価する人は多いが、戦争を始めたのは昭和天皇の裁可と責任である。


天皇はあくまでも開戦には不同意であった。その証拠は、
1 伏見宮博恭元帥(天皇よりも年長)の主戦論(開戦主張)に対しての明確な排斥(16年10月9日)
2 ハルノート提示後の御前会議に重臣(戦争反対派)の出席を提案
3 「2」を東条から丁寧に拒否されると、『それでは俺の前で懇談をさせてはどうか』と食い下がる

の実績である。

前に述べた「ベトー(大権による不同意)」の婉曲的な行使であろう。

特に「3」は一時的には奏功したのだが、東条はその後の大本営政府連絡会議を押し切って、12月1日の御前会議でついに開戦を承認させたのだ。

そのときの東条の発言。
「わが戦力はいまやむしろシナ事変前に比しはるかに向上し、陸海将兵の士気愈愈(いよいよ)旺盛、国内の結束ますます固くして、挙国一体、一死奉公、以って国難突破を期すべきは私の確信として疑わぬところです。」

このような浪花節的発言を聞いたとしても、今の私は責める立場にはない。
当時のマスコミと知識人と国民と議会が東条を圧倒的に後押ししたものなれば、天皇にいかなる拒否が出来ようか。天皇はあくまでも民意を尊重したのだ。

後に、天皇はこの対米英戦の裁可について

「開戦の際、東条内閣の決定を私が裁可したのは、立憲政治下に於ける立憲君主としてやむを得ぬことである。もし、己が好むところは裁可し、好まざるところは裁可しないとすれば、これは専制君主となんら異なるところはない。
終戦の際は、しかしながら、これとは事情を異にし、廟議がまとまらず、鈴木(貫太郎)総理は議論分裂のままその裁断を私に任せたのである。」(天皇独白録)

と、書き遺されている。

>戦争を始めたのは昭和天皇の裁可と責任である

判ったかい、昭和 人さんよ、まぁ、無理だろうなぁ、そのおつむでは。


>かっくるなかしま氏   08-8-19   16:50
>「私にも責任ありましたね~、いや~、申し訳ない。」というようなオチ、見聞したことがない。


まったく同感だぃ

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