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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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98年8月31日、北朝鮮は三段式のテポドン改良型ロケットを打ち上げたことは記憶に新しい。このとき旧ソ連の軍事技術者約200人が協力したと伝えられている。

この結果をDIAの報告書は次のように結論づけている。
・ 核燃料物質を長距離ミサイルの弾頭に装着し、核弾頭を実戦配備するまでに、3年はかからないであろう。
・ 北朝鮮はこのほかにも、生物・化学兵器の開発を進めており、KEDO発足後もこれらの計画は進行中である。
・このまま北朝鮮を放置した場合、21世紀初頭には、世界第五位の軍事大国が日本や米国に核の砲口を向けることになり、東アジア情勢は激変する。われわれはなんとしてもこうした事態を食い止めなければならない。


ソ連が崩壊し、中国が解放政策に転じているのに、北朝鮮のみが独裁権力世襲に成功したのは、金正日の核武装戦略の「偉大な」成功と言える。何よりも対北朝鮮外交の失敗を認めたくないクリントンを共犯関係にひきずり込んだのは、天才的な手腕であった。

北朝鮮の共犯者は他にもいる。それは日本からの資金と技術力だ。
93年12月28日、羽田外相(当時)は、日本記者クラブでの会見で、「朝鮮総連から本国への送金は年間2000億円(当時の闇レートでは、1500億ウォン規模)という報告を受けている」と語っている。90年の北朝鮮国家予算350億ウォンの4倍以上である。念のため繰り返すが、国家予算の4倍以上である。

朝鮮総連はこれほど巨額の資金を全て脱税行為で作り出した。朝鮮商工会は、在日朝鮮人に代わって、税務署との交渉を担当し、強硬な手段で浮かせた税金の一部を手数料として受け取った。その額は、少ない時で一件2、3百万、多いときは数千万だった。93年に商工会は、所得税等3万6千件、法人税5500件の交渉を「解決」したという。(「闇に挑む!」 西岡 力 徳間文庫)

しかし、バブル崩壊後は、総連も打撃を受け、脱税しようにも利益そのものが減少してしまった。そこで、朝鮮総連関連の土地・建物を担保に、実勢価格以上の不正融資を行い、送金額をひねり出すという手を編み出した

その結果、不良債権で99年に経営破綻した朝銀大阪には、不正送金の疑惑が未解決のまま、3100億円の公的資金が投入され、さらに13の朝銀信用組合が破綻し、合計1兆円もの血税が投入される気配で、国会でも問題になっている。(「朝銀信組を検査 「北」に不正送金の疑いも 13都県、不良債権実態解明へ」 産経新聞 H11.08.29)

ちなみに、(小沢氏の母の実家である)荒木家のある親族が、昭和61年5月、自宅を担保に朝銀千葉信用組合(登記簿には千葉朝鮮信用組合と記載)から3億5000万円を限度額とする巨額の融資を受けていた、などという情報もある。(「小沢一族の深き闇:実母を巡る謎と『朝銀信組』の金」君島 文隆)

まだある。北朝鮮でミサイルのハイテク部品の購入を担当していた金 秀幸(キム スヘン)が、亡命後に語った所では、北朝鮮の弾道ミサイルに使用されているハイテク部品の「70%は日本のもの」だという。

「ICチップは三菱電機、日立、日本電気、大手電機メーカーから部品をすべて購入した。特殊金属分析装置は清水工業、センサー関係は京セラから購入した。ノドンもテポドンも北朝鮮のものは電気と水だけであると豪語しているようです。こういったことを把握しておられますか?」(鴻池議員 99年2月22日、参院予算委員会)

「そのような報道は承知しており、北朝鮮への物資、技術等の不正な輸出に重大な関心を有している」。(警察庁警備局長)

ちなみに、パキスタンのミサイル実験でも、北朝鮮を通じて、日本製部品が大量に使われた。これがインドとの核実験競争の引き金になった。(「北朝鮮の『今』がわかる本」 佐藤 勝巳)

建設工事に使う重車両も、80%は日産、日野、いすずなどの日本製であり、部品が故障すれば、その写真と部品番号をFAXで朝鮮総連に連絡すれば、1ヶ月で万景峰号に乗せて届けられる。(林 永宣・元北朝鮮軍事建設局 亡命中尉)」(「闇に挑む!」 西岡 力)

ネヴィル・チェンバレンは、ヒットラーに対して宥和政策で増長させ、かえってWW2を招く原因を作った英国首相であるが、クリントンは共和党などから「現代のチェンバレン」と批判された。

また「ペイラントの自由」という言葉がある。
ペイラントとは同胞がスペインからの独立戦争をしているのに、「商売するのは勝手」と、敵国スペインに大量の武器・弾薬を売って大儲けしたオランダ商人の名前である。

今述べた日本の各メーカーは相手が北朝鮮と知りつつ、ハイテク部品や車両を売っているわけではなかろうが、国全体としては、核ミサイルで恫喝している相手に、わざわざその資金を与え、部品を買わせている、と見える。実に情けないが、規制も罰則もゆるゆるである。

金 正日という狂犬は、「現代のチェンバレン」クリントンが国際社会の目から隠す一方で、「現代のペイラント」日本が餌をたっぷり与えることよって、手の付けられない怪物になったのである。

今、何よりも危惧するのは、選挙結果とは言え、現小鳩政権がシナと韓国と北朝鮮にピッタリと寄り添っていることであり、自民党が腰を抜かしたまま、反撃の体を全く為していないことだ。

どうする事が最適解なのか、オイラがここで口が酸っぱくなるまで書き続ける所以である。

(続く)

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今回紹介したアーカイブには、老人党Saloonの諸氏に理解を願いたいいくつかのポイントがある。本アーカイブで紹介された内容からピックアップする。

「我々はフセインが原爆への野望を持っていたことは感じていた。もちろん仏は無条件に原発を売ったわけではない。こちらが技術者を養成し、稼動後も指導的立場を続けることでイラクをコントロールできる、と考えていた。」(ジャック・モリゼ)

「イスラエルはイラクと敵対関係にありました。自国の安全保障という点で必要以上に警戒したのでしょう。平和目的で建設された原発が、やがてそれに限らない使われ方をする、それはイスラエルの考えであり、取り越し苦労というものですよ。」(セルジュ・ポアドヴェ)

こんなことを言ってるから、フセインが暴走したのだ。
米も仏も大国の罪は重いが、これが各国のエゴ、国際社会というものだろう。
そしてわが国のお隣で似たような、いや、もっとひどい状況が現出している。
金 日成・正日親子の核開発の状況を「誰がテポドン開発を許したか」(ビル・ガーツ)を参考にたどってみよう。

康 明道(カン ミョンド)が、亡命後「北朝鮮の最高機密(文春文庫)」にこのいきさつを詳しく書いている。

彼は金 日成の従兄弟で北朝鮮の総理を二度も務めた姜 成山(カン ソンサン)の娘婿であり、血統がよく、人民武力部直属の保衛大学研究室長などエリートの道を歩んだ人物である。
本の中身は、核ミサイル開発、国営偽ドル工場、ヘロイン密輸など、まさに北朝鮮高官しか知り得ない機密が列挙されており、ソースの信頼性が高い。

康 明道によれば、金親子が核開発を決心したのは、76年8月のポプラ事件だという。

だがブレジネフは、核開発を許さなかった。北朝鮮の核保有は、南北朝鮮の軍事的均衡が壊れ、ひいては米ソの緊張も高まるからだった。

ところが82年に登場のアンドロポフは、レーガンの軍拡に対抗すべく、「あらゆる手段と方法を動員し、朝鮮民主主義人民共和国の宿願である統一を支援する」として、北朝鮮の熱望した核開発援助に乗り出し、70人におよぶ核技術者を送り込んだ。

北朝鮮は85年12月に核拡散防止条約(NPT)に調印し、ソ連から研究用小型原子炉二基を供給され、さらにプルトニウム生産のための再処理工場の建設を開始した。

93年3月、IAEA(国際原子力機関)は特別査察で、報告内容とは「著しい相違」を見つけ、寧辺(ニョンビョン)近郊にある二つの核廃棄物貯蔵施設への特別査察を求めたが、北朝鮮はこれを拒否し、NPT脱退を決心した。
この頃、康 明道は、国家保衛部の責任者から、「核兵器はすでに完成した。問題は、この局面をどのようにしのいで、目標の20個を作るかにかかっている。」との話を聞いている。

同年5月、北朝鮮は射程1千キロのノドン1号を日本海に向けて発射、日本の国土の大半が射程距離に入った。
同年6月からのアメリカとの交渉で、NPT脱退は一応凍結されたが、翌94年3月、再びIAEA代表による寧辺の核施設査察を拒否、入国差し止めや国連代表達の身柄を拘束した。

当月19日には板門店での南北対話実務者レベル会議の席上で、「ここ(板門店)からソウルは遠くない。ソウルは火の海になるだろう」と発言し、南北会談は決裂。
国連での経済制裁決議採択は時間の問題とみられていたが、北朝鮮外務省高官は、「もし日本が国連の対北朝鮮経済制裁に参加したら、日本にははかり知れない災害がおよぶだろう」と恫喝。

クリントンは宥和政策をとることを決定し、94年10月北朝鮮との「合意枠組み」に到達、その結果、黒鉛減速型原子炉と関連施設の活動の凍結、将来の解体と引き替えに、KEDOを設立して50億ドル以上の軽水炉建設資金を援助、完成まで毎年50万トンの重油供与、さらに人道的米援助を約束した。50億ドルのうち、10億ドルは日本の負担だった。

98年4月、米国国防情報局(DIA)は、依然として北朝鮮の核開発が東倉里(トンチャンリ)泰川(テチョン)の秘密地下施設で進み、ミサイル搭載用の核兵器の開発・生産が行なわれていることを極秘報告書にまとめた。

しかし、米国務省は、北朝鮮で核開発が続けられていることを認めたがらなかった。宥和政策による「合意枠組み」が失敗であった事が明らかになってしまうからだ。

98年7月、オルブライト国務長官は上院の財政委員会で、合意のおかげで「北朝鮮の危険な核兵器開発は凍結された」と語った。それまでにも彼女は何度も、議会で同様の発言を繰り返している

8月、北朝鮮の核開発が続いているとのDIAブリーフを受けて、上院議員たちが問いつめると、オルブライトは、「自分も7月までは知らなかった」と答えた。すかさずDIAのヒューズ局長が「国務長官、それは正しくありません。DIAは1年半も前から、この情報を貴女に届けていた。」と割って入ると、彼女は口をつぐんだのだ。

その結果、東倉里の地下施設への米国調査団の立ち入り調査は、99年5月に行われたが、「施設全体は未完成で、地下には空の巨大なトンネルしかなかった」として、国務省はシロの判定を下した。

しかし、疑惑発覚の9ヶ月後の調査では隠蔽工作をするのに十分すぎる余裕だ。また監視カメラの設置や土壌、水のサンプル採取なども行われず、プルトニウムの抽出を行っているといわれる泰川は調査対象から外された。こんなずさんな査察であったにもかかわらず、北朝鮮はこの調査の見返りとして60万トンの食糧支援をアメリカから受け取っている。

(続く)




ワシントンにあるユダヤ系のシンクタンクJINSA(ユダヤ国家安全問題研究所)が毎年開いているパーティです。出席者はイスラエル軍、アメリカ軍、そしてロッキード社などアメリカ軍需産業の関係者、JINSAはイスラエルとアメリカの交流に深く関与しています。

ブライアン・デイリー(ロッキード・マーティンマリエッタ社)「イスラエルは長年アメリカにとって中東で頼りになる協力者ですから、わが社も力を貸すのです。イスラエルを非常に素晴らしいビジネスパートナーと認識しています。」

ショシャナ・ブライアン(JINSA)「兵器の実地テストがイスラエルならずっと短時間で実現します。イスラエルは本核的な戦争を何度も経験しているので、アメリカより兵器を使う上で早く問題点を見つけられるのです。」

アメリカの同盟国の中でもイスラエルとの関係はとても特殊なケースと言われています。
その深い結びつきの一端を覗(うかが)わせる機密文書が2007年11月公開されました。
1969年当時のキッシンジャー補佐官がニクソン大統領に宛てたメモランダム、イスラエルの核開発についての進言です。


かつて仏の技術協力で建設された原子力施設でイスラエルが密かに開発したとされる核兵器、この問題にアメリカ政府はどのような対応をとるべきなのか、国務省、国防総省、統合参謀本部の意見がまとめられています。
メモの中で、キッシンジャーは次のように書いています。


【イスラエルの秘密裏の核兵器開発は中東に危機を招き、阻止しなければならない。イスラエルにアメリカの意志を伝えるには戦闘機売却の停止など具体的圧力が必要である。しかし一方で、アメリカがイスラエルの核保有を公にすれば、国際社会の注目を招くことになる。結果として、ソビエトとアラブ諸国との核の関係が強化され、米ソの核対立の危険性も増すことになる。】

キッシンジャーはこれこそアメリカが直面するジレンマと指摘しました。

アブニール・コーヘン(中東問題研究者)「聞かざる、言わざるという秘密の協定です。アメリカは何も質問しない、イスラエルも何も答えない。そもそもイスラエルも秘密主義を維持するつもりでした。この政策は現在まで変更されること無く続けられています。しかしイスラエルにとってこれが効果的に働くためには『何かがそこにある』、という噂が必要でした。」

シモン・ペレス(イスラエル大統領)「世界中が、そしてアラブ諸国が『我々が核を持っている』のではないか、と疑っています。疑われているのならそれで十分です。疑いだけで十分抑止力になります。脅威がなければ抑止も必要ない、脅威がなければ相手を脅かす必要もない。

オシラク空爆から26年後新たな攻撃作戦が行なわれました。2007年9月、イスラエル軍がシリアを空爆、NYタイムズなどアメリカの新聞はイスラエルからの情報として攻撃目標はシリアが秘密裏に進めていた核関連の施設だった、と報じました。
シリア政府は即時にこれを否定、イスラエルの攻撃を紛れもない侵略行為として国連に訴えました。


その後新聞各紙は「これはシリアが北朝鮮の支援で開発していた原子炉だった」、と続報していきます。
浮上したシリアと北朝鮮との関係、朝鮮中央テレビもこのニュースを伝えました。


いつものおばさんキャスター「攻撃はシリアの主権を侵害し、平和と安全を著しく破壊するきわめて危険な挑発行為である。」

これは中東の核施設を調査しているアメリカのシンクタンクが公開した衛星写真、爆撃前の8月に撮影したシリアのものです。施設の規模や構造が北朝鮮のニョンビョンにある実験用の原子炉と似ていたことから、同じ型の原子炉ではないか、との疑いが広がりました。

攻撃から1ヵ月後の写真、シリアは残骸を撤去し、更地にしたことでさらに疑惑は深まりました。
2008年4月、アメリカ政府はこれが「北朝鮮の協力によって造られた各施設だった」と断定しました。


ジョン・ボルトン(元国連大使)「オシラク空爆は大量破壊兵器の脅威に対して行なわれた最初の先制攻撃でした。それ以後アメリカは核の拡散について真剣に受け止めるようになりました。軍事行動が最良の解決策である、とは言えません。しかし他に解決策がないなら有効なオプションであることは事実なのです。

デビッド・オルブライト(元IAEA査察官)「シリア攻撃で明白になったことは、中東では単に原子炉の保有を考えるだけで、十分な攻撃の理由になる、という事です。中東の核化はますます大きな問題となっています。核施設への攻撃は攻撃された国の核兵器を求める動機をさらに高め、戦争が起きる確率は大きくなります。負の連鎖が生まれているのです。

セイモア・ハーシュ(ジャーナリスト)「客観的に見ればイスラエルの戦争行為だったのが明らかだったのに誰も気に留めない。当初さまざまな批判もあったのに、核施設だった、という情報があった途端、誰もが容認するようになった。これはもちろんイランへのメッセージでもありました。」

現在イスラエルはイランの核開発を中東最大の脅威としています。
2008年6月、イスラエルは建国以来最大規模の軍事演習を実施、その攻撃目標はイランの核施設だった、と言われています。


一方イランも、翌月、イスラエルを射程としたミサイル実験を敢行。対立姿勢を強めています。

アフマディ・ネジャド(イラン大統領)「世界中の人々がこぶしを振り上げてひとつのスローガンを叫んでいる。イスラエルに死を!」

エフード・オルメルト(イスラエル首相)「ブッシュ大統領も指摘しているように、いかなるオプションも排除すべきではない。」

破滅の時を刻む大時計を止めるためにイスラエルが採った「オシラク・オプション」・・・
しかしそれは中東全体を新たな核疑惑の渦の中に巻き込み、今も時計の音は鳴り続けています。

(番組終了)

(続く)




空爆の直後、ベギン首相はアメリカのレーガン大統領に親書を送っていました。演説の激しさとは違って、理解を求める内容でした。

「親愛なる大統領閣下、2年以上の間、私は悪夢にうなされ続けてまいりました。何度も自分自身に問いかけたものです。私は未来のために一体何をすべきなのか。・・・ホロコーストでは150万人以上のユダヤの子ども達が殺害されました。私は第二のホロコーストを許すわけにはいかなかったのです。・・・カーター政権以来アメリカは外交でフセインの野望を止めようとしてくれました。その努力には深く感謝しております。しかしながら状況は変わらなかった。・・・私たちにはもう自らの力で脅威を取り除くしか他に選択肢は残されていなかったのです。

リチャード・アレン、当時 安全保障問題担当 大統領補佐官でレーガン大統領の右腕といわれていました。アレン補佐官はオシラク攻撃があったその日、ワシントン近郊の自宅にいました。ホワイトハウスのシチュエーションルームから第一報を受けます。

リチャード・アレン「レーガン大統領はちょうどキャンプデービッドからホワイトハウスに戻る所でした。私はすぐに大統領に電話して事態を伝えました。背後では待機しているヘリの音が聞こえていました。すると大統領は『どういう事だか判るかい』、と言いました。どうお考えでしょうか、と尋ねるとこう答えたのです。『男の子はいつまで経っても男の子だなぁ』」

アメリカ政府はイスラエルに対してどのような対応をとるべきなのか、翌日ホワイトハウスで緊急の安全保障会議が開かれます。レーガン政権の主だったメンバーが顔をそろえます。

リチャード・アレン「ワインバーガー国防長官は反イスラエルの立場を明確にしました。ベーカー首席補佐官などはF-16を即刻取り上げようと言い出しました。ブッシュ副大統領もイスラエルを強く非難し、この行動が如何に野蛮かを訴えました。私は、ブッシュがひどい間違いをしていると驚きました。彼はレーガン大統領からのシグナルを見誤っていたのです。結局イスラエルに対して一応の非難声明を出すことになったのです。これはいわゆる『おざなりの声明』、と呼ばれるものでした。」

午後になって、ホワイトハウスの報道官はイスラエルに対して声明を発表しました。

「今週予定されていたイスラエルへのF-16引渡しを延期する。」

戦闘機引渡しの延期という声明を出しながらも、アメリカが本気でイスラエルを制裁するつもりがないことは、空爆の5日後に開催された国連安全保障理事会で明らかになります。

イラク代表「全ての国家、特に米国にはイスラエルの侵略を助長する武器供給と技術協力の即時停止を求める。」

アメリカの反応はイスラエルを擁護するものでした。

アメリカ代表「イスラエルは米国の重要で価値のある同盟国だ。その友好関係を変える事態は何も起きていない。」

一週間後採択された国連安保理決議(487号)
【 国連憲章と国際的な行動規範に明確に違反したイスラエルの軍事行動を強く非難する。】


国連はオシラク空爆を平和への重大な侵略行為と非難したのです。しかし制裁措置は結局実行されませんでした。アメリカの強い後押しが決め手でした。その後F-16の引渡しも再開されます。

リチャード・アレン「湾岸諸国などいわゆる我々の友好国もショックを受けたでしょう。でも、彼らにはイスラエルの行動に対処する能力も意志も在りませんでした。内心イラクが核を保有出来なくなったことを喜んでいました。決して口には出しませんが暗黙の了解だったのです。

WW2後アメリカの中東政策の要(かなめ)は、冷戦下の中東でソビエトの進出をどう封じ込めるか、でした。レーガン大統領にとってイスラエルはソビエトの脅威を食い止める防波堤、その戦略的重要度は大きくなっていました。
オシラクを脅威であるとし、自力で排除して見せたイスラエルの行動は、アメリカとの軍事関係強化に追い風となっていきます


空爆から3ヶ月が過ぎた9月、ベギン首相がアメリカを訪問、レーガン大統領と初めての首脳会談に臨みました。訪問の目的はイスラエルとアメリカとの軍事関係の強化を踏まえ、戦闘機やミサイルの配備など、より具体的な支援をアメリカから引き出すことでした。

メナヒム・ベギン首相「今こそ戦略的協力関係を確立するときだ。中東では緊張が増している。何が起きるか判らない。」(記者会見)

訪米団には国防相として就任したばかりのアリエル・シャロンが加わっていました。シャロンはかつて中東戦争で戦車部隊を指揮した将軍でした。

リチャード・アレン「最後の夕食会のときでした。私はシャロンの向かい側の席に座ったのですが、シャロンは開口一番、『戦略的同盟が結ばれたからには、これまでのような応急処置では困る。指の傷に使う絆創膏はもうたくさんだ。』と言い出しました。私は、判っていますよ、我々はこれまでさまざまな規定を全てクリアしてきたではないですか。それにこれまでだって絆創膏以上のものを得てきたでしょう。戦略的同盟とは以前とは違う関係です。絆創膏以上のものをあなたは持って帰国しますよ、と答えました。」

現在、イスラエル国防軍にはアメリカの最新鋭の兵器が大量に配備されています。アメリカのイスラエルへの無償軍事援助は年間22億ドルに達しています。戦火の絶えない中東情勢、アメリカの軍需産業にとってもイスラエルは兵器開発の格好の実験場となっています。

(続く)




1981年6月7日、シナイ半島モハベ砂漠エツィオン空軍基地、午後4時、8機のF-16戦闘機が動き始めました。F-16に搭載されたカメラには20分テープが装備され作戦の一部が記録されています。

離陸後、すぐにアカバ湾を越え、アラビア半島に入ります。8機のF-16はヨルダン、サウジアラビアの国境地帯を領空侵犯して東に向かいます。針路を北東に変えてイラク国境を通過、バグダッドまではおよそ1100キロ、90分の飛行です。

これはパイロットが実際に携行した飛行地図です。離陸から攻撃目標まで分刻みの航程が記載されています。

攻撃に参加した8人のパイロット、アメリカで訓練を受けた4人に加え、さらに4人が選ばれ、攻撃チームが編成されました。20代後半から30代の精鋭です。
テープにはパイロットの声も録音されています。

ガンカメラ音声「燃料切れが心配だ・・・」

レリク・シャフィール(P)「本当にギリギリの燃料しか搭載していませんでした。もし途中で予想外の事態に遭遇したら、燃料を無駄に消費してしまうだろうし、帰りの燃料が心配でした。」

ドゥービー・ヤッフェ(P)「ヨルダンとサウジアラビアのレーダー探知を避けての低空飛行でした。アメリカの早期警戒機も要注意でした、湾岸の全域をカバーしていましたから。」

ガンカメラ音声「・・・今イラクの国境を越えた・・・国境監視所が見える・・・左方向に敵の基地が見える・・・まずいな・・・」

ジープ・ラズ(P)「心配はもちろんイラクの出方でした。迎撃の戦闘機を飛ばしてくるのか、ミサイルなのか、イラクは多くのミサイルを配備していました。」

ハガイ・カッツ(P)「自分に言い聞かせていました。オイ、これは訓練じゃないんだぞ、本物の、それも飛び切り、重要な任務だぞっ、てね。」

ガンカメラ音声「・・・鉄道が見える・・・アラブ人が見上げている・・・何が起きているか、わかるかな・・・レーダーのスイッチオン・・・燃料はたっぷりある、大丈夫だ・・・あぁ、ユーフラテス川だ・・・攻撃目標まであと少し・・・あと12マイル、何かが左に見える・・・ハイウェイが見えた、予定どおりだ・・・OK、ミグ(戦闘機)はいない・・・(一瞬だけ機外交信)・・・敵はミサイルも発射してこない・・・上昇ポイントに来たぞ・・・」

それまで高度30メートルの超低空飛行を続けてきたF-16は目標の手前20キロの地点でアフターバーナーに点火、攻撃目標を確認するため高度2000メートルまで急上昇します。

ハガイ・カッツ(P)「上空で目標を確認したら絶対に目をそらしてはいけません。目標を見失うからです。その後機体を反転させ、目標に向かってダイブ、爆弾投下、となります。目を離さなければ90%は成功です。」

F-16の一番機が急上昇、攻撃態勢に入ります。上空で反転、目標に向かって急降下を開始、画面左上に現れる黒いマークが爆弾投下の瞬間です。二番機、三番機と波状攻撃が続きます。

レリック・シャフィール(P)「一番機と二番機の爆弾には爆発を遅らせる時限装置が装着されていました。爆発の噴煙で後続機が目標を見失わないようにするためです。」

ガンカメラ音声「・・・対空砲火だ・・・」

ハガイ・カッツ(P)「一斉射撃が始まりました。ほとんどは機関砲でしたが、地上は火花のカーペットを敷き詰めたようでした。」

ガンカメラ音声「・・・攻撃目標は良く見える・・・」(機外交信とともに次々と投下の映像)

レリック・シャフィール(P)「原子炉のドームは西日を受けて光り輝いていました。・・・次の瞬間スローモーション映像のように粉々に吹き飛びました。」

ドゥービー・ヤッフェ(P)「攻撃は40秒でした。このために周到な準備をしてきたのです。」

ジョバンニ・クリスピーノ(フィーグ社建築技師)「すぐに着替えて車で現場に直行しました。まだ残って働いている人がいたので、助けに行かなくては、と思ったのです。ゲートの前に着いたのですが、イラク兵が大勢出ていて、中に入るのを止められました。兵士達はとても興奮していました。サーチライトが夜空を照らしていました。外から見ても原子炉はかなりの被害が出ているようでした。私が四年をかけた仕事を彼らはたったの1分で完全に破壊したのです。なんとも言えない虚しさと怒りを覚えました。」

ガンカメラ音声「こちら隊長機 全機無事か。・・・大丈夫です 合流します。・・・爆弾は命中しました。・・・原子炉破壊は確認できたか。・・・目標は作戦通り破壊されました。・・・了解・・・」

(テロップ)オシラク空爆の犠牲者は仏人技師1人、イラク人10数人と発表された。

空爆で原子炉を破壊する、という前代未聞のニュースは世界を驚かせました。翌日に開かれた緊急の記者会見でベギン首相は、この攻撃が自衛目的であったことを内外に強く訴えました。

メナヒム・ベギン首相「この24時間に多くの非難がわが国に寄せられたが、謝罪するつもりはない。」

街頭ではイスラエル国民に呼びかけます。人々は熱狂して聞き入りました。

ベギン首相誰を罰するのですか。原爆を望んだフセインではなく阻止した私たちなのですか。今、私は断言します。これからもこの国で平和に暮らし続けます。

聴衆の歓声と「ベギン」コール

(続く)