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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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先日の長崎新聞(24.5.9)の一角にこんな記事があった。

http://www.nagasaki-np.co.jp/news/mizusora/2012/05/09090413.shtml

>この国で一番大切な決まりと小学校でも中学校でも教わったはずなのに、実は不具合だったのだろうか・・・そんな錯覚さえ起こしそうな改憲の大合唱が党派を超えて始まっている。
>憲法の表現は総じて抽象的だ。だから、時代に即した目でその規定を読み直していくことに異論はないのだが、そこを飛び越した独り善がりの欠陥商品呼ばわりには、異議を唱えておかねばならない。

おう、「時代に即した目でその規定を読み直していく」とは、いわゆる「解釈改憲」というやつだろうが、そもそも憲法の条文というのは、国家に関する大人の常識、良識といったものが坦々と書き記(しる)したものであるはずだ。

ところがその大人の良識、常識というべきものが毎回新たな事態・事象が発生するたびにこの場合はどうだ、その場合はこうだというような解釈をいちいち必要とすることの異常さ、それが今の「解釈改憲」のぶざまな姿なのだということに何故思いをいたさないのか。

大人の常識、良識とはどこから生まれてくるのか。その淵源は歴史と慣習と文化だ。
日本にはかつて聖徳太子の17条憲法から始まって、大宝律令、武家諸法度、五箇条のご誓文などがあった。これらの歴史的書き物はそれぞれの時代のものであり、現代にそのまま適用できるなどと主張するものではない。だが、日本人の秩序感覚、言い換えるなら義務、権利の観念はこうした歴史と慣習と文化から生まれてくるのではないか?
なんていうと、あの「流水氏」が逆上するだろうが・・・(^^;

300万人も死んだ敗戦のすぐ後という時期には理想的な憲法を作る余裕などなかっただろう。
だが、この米国製の憲法は日本の歴史や慣習や文化を全く無視した無国籍な条文で構成されて居り、非常に改正しにくいという特徴もあいまって、常に国民の規範意識であるべきはずの憲法が逆に国民の規範意識を支配するようなことに成ってしまったのだ。
本来成文化してはならない成文が強制力となって、常識や良識を無視した行過ぎた平和主義(すなわち無責任)や権利意識が一人歩きするようになっているのだ。

橋下大阪市長が「全ての元凶は憲法9条にある」と叫んだのも、まさにこの点を言いたかったのだろうと思う。

>憲法の表現は総じて抽象的だ。

それはそうだが、今の憲法の異常な点は、本来抽象的であるべき条文の表現に、戦争放棄条項が明文化されてしまっていることだ。まさに欠陥商品そのものだ。
大体だな、英語の原文を間違えて翻訳したまま施行から65年も経っているのに、一言一句も誰も直さないなんてのはおかしくねぇか?

「・・・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・」

コイツは何が言いたかったんだ?原文の英語はこうだ。

【・・・ no nation is responsible to itself alone・・・・】

これは「いずれの国家も責任は自国のみに及ぶものではなく、…」だろうが。

「あなたの国の責任は他国にも及ぶのです。だから、他国民ながら、あなたの国の戦争犯罪者を裁かせてもらいます」と読めば、東京裁判肯定のロジックだ。
「わたしの国はあなたの国をも教化し、文明化する責任がある」と読めば、米国による日本侵攻のロジックだ。実に悪意のこもった7語である。

翻訳した外務省の役人も、こんな失礼な英文憲法をバカ正直に訳せなかったのだろう、と同情はするが、それにしても悪文に見本みたいな翻訳文ではある。
わずか7語のこの1節が世界から金を毟(むし)り取られる腰抜け日本を作り上げてしまったと言えよう。。

好むと好まざるとに関わらず、このぶざまな日本国憲法はすでにそこにある。だから、戦力の不保持と交戦権の否定という国家の常識とはおよそかけ離れた妄想理念がひとたび明文化されてしまったが故に、それに引きずられた思考が当たり前となってしまった。
今ある日本の「解釈改憲」とは、条文に関する神学論的な辻褄合わせに過ぎず、自衛隊を「違憲ではあるが合法」というがごとき極めて不条理なのだ。

>現行の国会の二院制を見直すべきという主張がある。今の「ねじれ国会」では物事が決まらず、話が先に進まないから・・・という理由らしい。本末転倒もはなはだしい。「ねじれ」もまた、主権者である国民の選択の結果だということを忘れてはいないか。

憲法改正の話の中では、オイラにとって二院制の是非についてなんぞどうでも良い話だ。その時代その時代で国民がベストと思う手法を取り入れればよいことで、現に中選挙区制から小選挙区制へと変えたのは、細川政権の小沢 一郎幹事長であった。あの時も、小選挙区制に反対する主権者はたくさんいたが、残念なことに細川政権に幻想といえるほど過剰な期待を抱いたマスコミにより世論が形成されてしまったではないか。

問題の核心は社会や国際情勢が変わり、どんな不具合が生じても、憲法を一言も変えない、変えさせない、国民の規範は憲法の条文そのものに規制されるのだ、とする本末転倒にあるのだ。
Wag the Dog(犬が尻尾を振ってもニュースにならないが、尻尾が犬を振ったら大ニュース)なんだよ。

>改憲の大合唱が党派を超えて始まっている

それが何だ。党派を超えて始まっている、いいことではないか。
ねじれが不適当なのではない、オイラは参議院の存在が形骸化している事が問題なのだと認識している。形骸化した存在により、国政が円滑に運用されない、憲法に定められた参議院の制度が本来の意義を失っている、と国民の大多数が思えば、それはむしろ積極的に変更されるべきなのである。それが健全な議会制民主主義というものだ。この場合、少数の反対意見などにどれほどの意味があろうか。

>自衛権や、そのための戦力が憲法の中に位置付けられていないことが不自然で不都合なのだという。手品のような解釈を積み重ねてきたことに論議はあろうが・・・・・

おいおい、自分でも判っているじゃないか。そうだよ、まさにオイラはそれを指摘しているんだ。

>今の憲法の下で自衛隊は生まれ、これまで活動してきたのだ。「軍隊」を書き込むことへの抵抗感が置き去りにされていいとは思えない。

で、なんだよ、この根拠なき情緒的発想は・・・珠やレイじゃあるまいし・・・話にならん。

>適正な手続きによらなければ自由を奪わせない、税金を好き勝手に取らせない、簡単に物事を決めさせない。戦争をさせない。あらためて言うまでもなく、憲法は権力者の手足を縛るためのルールだ。

これはよく言われることだが、今の日本にそのまま当てはめることは少し違うんじゃないか。
そりゃ、Badbloke氏の好きな英国のマグナ・カルタ(大憲章)の頃は旧体制の横暴をとがめるための規範として憲法が制定される、ということはあった。それは民主主義が未熟か発展途上であった頃の話であり、少なくとも今の日本では多数参加と多数決という手続きとしては確立している。いや、されきっていると思うぞ。特にノイジーマイノリティの意見と立場がすっかり強化されてしまっている今の状況において「権力者の手足を縛る道具」というのは欺瞞の最たるものだろう。

>3日の「記念日」は過ぎたが、憲法をめぐる論議は続く。政治家任せでいいはずがない。しっかりと神経をとがらせておきたい。

このクソみたいな論説を見つけたのが少し遅くて、時期はすぎてしまったが、オイラもしっかりと神経をとがらせておきたいぜ。

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