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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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少し、息抜き・・・

世直し老人党の川柳 狂歌

0246 Re: 天皇制を考える    はなもとあかり   10/28 16:33

<チャールズ皇太子夫妻来日>

     >犬バカの イギリス系の紳士なら

                >チャールズ夫妻を 何と書かれん



     チャールズは  カミラと不倫した助平

                これを称(たた)える あかりの暗さ

     エラソーに 垂れた講釈 中折れし

                紳士どころか 陰萎の駄犬

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今は昔、旧掲示板でオイラはこんなことを書いて、流水氏と議論したことがある。
その骨子を抜書きしてみると

>ス・ベ:万人にとって正しくあるべき手段(=機会の平等)。落ちこぼれはセーフティネット。
自由と言う価値は『恣意的に歪められていない真っ当な市場経済システム』からこそ産まれてくる。


>>流水:「恣意的に歪められていない市場経済システム」などというものが、過去及び現在、この地球上に存在したことがあるか。弱者のためには市場原理主義などは断じて許さず。弱者救済に必要とあらば市場経済システムそのものを恣意的に歪めるべき。(変質させた資本主義=統制経済への憧れ、民主主義を標榜しつつ、中身は出来の悪い社会主義国家)

>自由市場が持つべき活動意欲の著しい減退を懸念。
弱者を救済するための打ち出の小槌は、実は自由競争の結果がもたらすもの。
市場経済システム以 外から産まれてくる自由が市場経済システムに与えるものとは、さて、一体何か。


>>この世に、【絶対的自由】というものは存在せず。存在したとしても人間の頭の中だけ、これが常識。
市場経済原理主義のような【自由】は、他の人間の自由を侵害する、規制すべき。
格差対策は必要などと言いつつ、結局強者の自由を無制限に許容する発想から抜け出ていない。
要は、バランス。ケインズ主義とかフォーデイズムとか色々いうが、それを社会主義、共産主義と決め付ける発想自体が、根底から間違っている。
(私の主張は)資本の暴力的本質を如何にして薄めるか、というところに力点を置いた考え方。【人間が生きるために経済がある】と言うのは、それを指す。
資本主義は根本的に暴力、ましてや市場経済原理主義のような【自由】は、他の人間の自由を侵害するのだから、規制すべき。


>社会の発展には資本主義経済以外に有り得ず。例外的にアルマゲドン下での統制経済あり。(笑
市場経済原理主義を徹底的に『悪』と見る、「言葉の呪縛」(=イデオロギー)。
これでは議論噛みあわず。また、「世界経済のグローバル化を認識し、新自由主義経済論の検討に、世界経済のありようを見るのは、当然」と言っておきながら、日本だけ独自の都合を取り込もうとするその矛盾。


てな具合だったなぁ・・・懐かしい(^^;

格差の議論で気になる点はまだある。格差の存在を認めるとしても、それに苦しむ人たちは、はたして「弱者」なのか、それとも「敗者」なのか、ということだ。言うまでもないことだが、自由競争で出るのは「敗者」、特に、公共事業や補助金に依存してきた業界は「弱者」ではない。

経済構造の変化によってとっくに敗者となるべき運命にあったのに、バラマキ政治によって理不尽なまでに全員の存続が許されてきただけだ。(← ここ重要)

流水氏との議論でも言ったが、「弱者」に対しては救済の手でも、「敗者」には再チャレンジのチャンスであって、さらには、負け過ぎないようにセーフティ・ネットが、政策上は必要だ。
その際、「敗者」を「弱者」と勘違いして、全員救済型の損失補填をするような政策は、絶対に採るべきではない。それは結局の所、既得権益を温存させるだけだ。口が酸っぱくなるほど繰り返したが、結局聞く耳を持たなかった・・・はぁ

小泉は昔こんなことを言ってた。

「政治的に改革を進めようとするとき、当然、従来とはまったく違う制度や仕組みを作ることになります。従来のやり方に慣れ親しんだ感覚では、改革案はあたかも暴論と聞こえる部分もあるでしょう。まして、既得権益の恩恵を受けている人にとって、それは聞くに耐えないものかも知れません。国会で暴論とされたのは、論の中身がでたらめだというのではなく、そう論じることで『選挙に勝てなくなるではないか』という危惧から発しています。
世の中を変えるには、一番難しいことを、先にやってしまうしかありません。これは政治手法の問題ですが、先送りするよりははるかに有効でしょう。」(小泉純一郎の暴論・青論』1997)


振り返って今読めば、まったくもって至言だ。一方でこんなことも言っている

「小泉改革は何もしていないと言うことだが見当違い。余計なことは何もしなかったんだ。」(2004 1 23)
こうやって見てくると、今回、厚労省が発表したこれ(↓)

「ネットカフェ難民の就労を支援するため、公共職業訓練の受講を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を、雇用・能力開発機構に来年度創設する。年収150万円以下の受講者は返済が免除されるため、実質的には給付となる。」(厚生労働省)

参考:RVR - 村上龍 Ryu's Video Report

実に腹立たしい。
1 何故そこまで若者を甘やかす必要があるのか
  融資ならまだしも、返済免除というような甘やかしは、絶対に若者の就職に向けた対策にはならない2 担当窓口を「雇用・能力開発機構」を活用しようとしている
  廃止が検討されている組織だぞ?えーっ?(非難)
3 何故、公共職業訓練受講者に対象が限定されるのか
  職業訓練は民間でも実施可能だし、実際に提供しているところもある。そんな中で公共職業訓練受講者のみを優遇するのは、民業圧迫に他ならない。

厚労省の(正確には元労働省の)やり口でオイラが特に気に入らないのは、ネットカフェ難民を口実にして雇用・能力開発機構のような不要な組織を温存させようとするその心根で、まったく我慢ならん。

小泉や竹中や猪瀬だったら絶対に認めなかっただろうな。臨終間際の福田ヨイヨイ老人の手に無理矢理ハンコ持たせて、とんでもねー証文に捺印させた旧労働省の悪人どもの高笑いが聞こえる、あぁ・・・

(再 掲)

>流水氏:五年にわたる彼(小泉)の改革の結果、死者が累々と積み重った「荒野」が日本国中に広がった。国民の怨嗟の声が野山に満ち、自民党政権はその後始末に狂奔せざるを得なかった。

流水氏が受け売りをする日本の政策批評は、「ちょっとでもマイナスがあってはならない」、そういうのをオール・オア・ナッシングってんじゃないのか。どんなことをやっても「評価」を「文句」に変えるのは簡単だ。
流水氏の言う「格差論」は、その辺りの弊害を意識せずに、行われているような気がしてしょーがねんだが。

どんな政策でも、いや極端に言えば、社会的行為のすべては、プラスとマイナスの両方の影響がでるのが、当然だろう。
だから、結局は「トータルでプラスになったのかどうか」という視点が本来執られるべきだ。

政治に完璧主義を求めるんじゃぁない。どこをどうやったって、歪みは必ずでる。「生じた歪みをいかに是正するのか」を議論すれば良いのであって、これを「小泉構造改革は失敗した」と声高に言い募るのは、やはり政治的な目的をもった「ためにする議論」って言われっぞ。

実際、「鬼の首」でも取ったみたいに興奮して「格差」を語る老人党や野党議員・評論家どもを見ていると、正直、何か小泉相手に負け続けた5年間の鬱憤を晴らそうとしているようにしか見えん。

資本の論理:経済の論理からすれば、市場原理による景気回復では、大規模に資金を動かせる企業、あるいは大胆にリストラした企業から先に景気回復の効果が出てくるのは当然のことである。(「日本資本主義の精神」 故 山本七平氏)

タイムラグを考慮するならば、「中小企業などへの格差は今後しばらく続く」だろうし、それを今の段階で議論をするのは時期尚早だと思うがなぁ。
どうもこの種の議論には「最後に一矢報いてやろう」という反権力の政治的意図を感じて仕方がない。

オイラは、経済格差を「大企業と中小企業の格差」、あるいは「都会と地方の格差」と解釈するのは、ふたつの点で間違っていると思っている。

まず、「資本家」と「ロードーシャ」というマルクス主義的な二分法によって「中間の存在をを認めない」思想では、この複雑な日本経済の問題点など簡単に説明できるわけはなかろう。
この辺は例の「赤木 智光」氏も訴えている。(無論、彼の言ってる全てが正しい訳じゃないが)

また、仮に二分法を使うにしても、今のような大きな変化の時代には、「企業規模」や「地域」といった属性では説明しきれないんじゃないか。
どうしても区分したいんなら、「新しい時代に適応した企業や地域」と「適応が遅れている企業や地域」とかに分けるべきだろう。
もちろん正しくは「適応度」という尺度によって、二分法的にではなく段階的に解釈されるべきである・・・これも山本 七平氏の受け売り(^^;

なぜ、(自民党にもいっぱいいる)構造改革批判論者の人たちは、中小企業や地方に対する差別があったかのような言い方を強調するのだろうか。
オイラは「格差を解消する」という美名のもとでバラマキ政治(大きな政府)を復活させようという政治家が暗躍しているのではないか、と考えている・・・陰謀説(^^;

「大企業・都会」からではなく「中小企業・地方」から景気回復を図るという手法は、バラマキ政治・補助金政治そのものだったじゃないか。時代に取り残された企業は本来速やかに淘汰(倒産)されなければならなかったんだ。

それじゃなくたって政治においては、だれも反対できないような美辞麗句の裏で、不平等な、つまり「格差」のある財政のバラマキが行なわれやすいんだ。財政赤字が深刻な現代にあって、大いに注意すべきことだとオイラは思っている。

こう書いていて、ふと思い出した過去ログがあった・・・(続く)

あの流水氏がこんなことを言っている。

0958 自民党断末魔のあがき  流水  09/02  09:34
>福田首相が退陣した。福田政権は、自民党政治の延命装置みたいなもので、いよいよその延命装置も外さざるを得なくなった。自民党の救命医師で看護婦のナンミョウ党が、もはやこの救命装置は役に立たないと判断したのだろう。


そのとおりだ。しかし、次(↓)はどうか?

>小泉政権当時、わたしは何度も【改革】というものの難しさを書いた。

「改革の難しさ」を書けば、それでアンタは気が済むだろうが、政治家は評論家じゃぁない・・・ま、たしかに福田は評論家だったけど・・・グスン

>わたしの小さな体験でも、下手な改革をやればやるほど、事態は深刻化し、解決は難しくなるということをいやというほど思い知った。
>比喩的にいうならば、もつれた糸を無理やりほどこうとしても、さらのもつれてしまってどこから糸をほぐしてよいのか途方に暮れてしまう、というのが現状であろう。


だから「途方に暮れてしまう」だけじゃ、ダメなんだっちゅーの、政治家は。

>小泉元首相は、ということについて、明確な答えは一度もしなかった。彼自身、何もわかっていなかったのだろう。

そりゃアンタがそう思いたいだけだ。心ある日本人なら「日本の将来はどうなる」なんて野暮なこたぁ訊かぬモンさ。
断言する、「日本の将来は、バラ色になんかなる」もんか。
誰もそんなこと思っちゃいない。

だけど、だけどね、今の状況から少しでも前進した、と思えればそれか国民にとっては救いなんだ。
この「思えれば」っちゅうところが大事なんだよ。
そう思いたくない人間はいつまで経っても不平不満を言い続けるだろうがな。

>五年にわたる彼の改革の結果、死者が累々と積み重った「荒野」が日本国中に広がった。国民の怨嗟の声が野山に満ち、自民党政権はその後始末に狂奔せざるを得なかった。
>「荒野」を緑地に、死者の数を減らす、国民生活を大切にする、といくら叫んでも、あまりの惨状に打つ手なしの状況に呆然と立ちすくんだというのが、安倍政権、福田政権だった。


なんだか世直し老人党のトップページを読まされてるみたいだ。相変わらず、自分自身の言葉に酔ってるようだがね、おあいにく様。

>それでも、若くて知恵足らずの安倍は「美しい国」などという空疎なスローガンを語ったが、自殺者数年間3万人以上、地方ではシャッター商店街ばかり、年金不正は底なし沼、閣僚は不祥事ばかり。

自殺者の問題は、日本人の死生観と深く関連しており、極端なことを言わせてもらえば、平和な時代だからこそ自殺する人が増える、という見方だってあるぞ。いやな事実だが。
シャッター商店街にはシャッター商店街になったそれなりに理由がある。

第一だなぁ、シャッター商店街の住人本人たちがシャッター通りのお隣の店に買い物に行かずに、大店舗に買い物に行く理由を説明してもらいたいモンだ。
何でもかんでも小泉や安倍の責任にする癖はやめとけ・・・と言ってもやめないだろうが(^^;

年金不正は、もう一方の犯罪の当事者、社保庁職員で構成される自治労の責任を問う声は聞こえぬがなぁ、どうだ、流れ水サンよ。

構造改革に対する批判は相変わらずだが、その大半はいわゆる「格差」の問題だ。
確かに、構造改革に伴って「社会的公正」について再考しなければならない事態が生じていることは認めよう。でもね、オイラは、いくつかの点で、この格差論に???があるぞ。
後で言うから楽しみに待っとけ(^^;

>危機に瀕した時、二つの選択肢がある。一つは、乾坤一擲の大勝負に打って出る。新陰流の極意にある「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」である。自民党は、安倍の政権投げだしの時、そのチャンスだった。

冗談じゃない、負けると判ってる戦(いくさ)をやる馬鹿がどこにある、「乾坤一擲の大勝負」だと???なにが新陰流だ、大東亜戦争直前の日本指導者のそういう態度をとことん罵倒していたんじゃないのか。あの時実際には、オマイさんのようなガッコの先生を含めて、半端な知識人どもが世論を誘導したんだけどな。

>しかし、自民党は、そうしなかった。福田という延命装置を選択したのである。
>つまり、危機に瀕したときのもう一つの選択肢。「首をすくめて嵐が通り過ぎるのを待つ」という方法である。戦国時代流にいうならば、【籠城戦】を選択したのである。


まぁ、その前の満州事変から軍閥が横行し、腰の定まらぬ近衛総理の悲劇もあって、引くも地獄、進むも地獄、篭城して、ジリ貧になるよりも打って出る、という状況に自らを追い込んでしまった政府の責任はある。

しかし今回の出来事は、そんなものとは違う、第一、国内の政権争いじゃないか。篭城戦かなんか知らないが、自民党は今選挙やったら勝てない、世論を味方につけられない、と打算的に考えただけだ。オイラは何度も言ってるが、選挙は、惰性、打算、妥協なんだよ。

>この「籠城」戦は、援軍が来るというのが前提の戦法。同時に、場外の民衆にとっては、最悪の戦法である。以前にも何度か書いたが、自民党・財界・官僚という人種は、「城下町」発想で凝り固まっている。危機の時、【城内】に入れるのは、武士(エリート層)だけ。民衆は城外で戦火をもろに受けるのである。
ふん、面白い表現だが、まぁ、「嫉妬心に満ち溢れた思想」と言わせてもらおう。

>福田首相の1年間は、まさに【籠城戦】であり、その被害をもろに受けたのが国民。しかし、彼の視野には、その苦しみなどかけらも入っていない。彼の辞任の弁に「国民に対する謝罪」がないのは、「籠城戦」の中で城内の動揺に翻弄された彼の立場を如実に物語っている。

野中の麻生嫌いから誕生した福田のことはオイラも最初から期待なんかしてなかったから、これに関して特にコメントはない。

>以前にも何度も書いたが、次回の選挙は、21世紀日本のグランドデザインを選択する選挙にしなければならない。五木寛之流にいうならば、【寺内町】発想で行くのか、【城下町】発想で行くのか。
国民側からいうならば、「お城」の殿様を選択するのか、国民と運命を共にする指導者を選択するのか、という視点である。


【寺内町は良い】という発想には、【寺内町】自体が国家という総合体の一部に過ぎず、全体を保護しているのは誰かと言う視点が欠落しているんじゃないか?(続く)

>実は、(1)をとる欧米各国の立場は、きわめて矛盾に満ちている。
>コソボの独立は、住民の大半が独立に賛成である、という(欧米各国の)論理をもって、セルビアの強硬な反対を押し切って行われた。コソボ紛争は、上記の論理からいえば、純粋な国内問題であるにもかかわらず、である。当時、ロシアは、コソボの独立に反対だった。


ロシアには矛盾がないとでも言うか。流水氏は大きな誤解をしているが、今回、ロシアは現状維持の立場であり、南オセチア独立には反対なんだ。

「矛盾している」と非難する流水氏、ならば、間違った見解のままでいいから「コソボ紛争当時はコソボ独立に反対してたのに、今回は南オセチア独立を支援している」というあんたの理解に対する不思議な現実にはどう答えるつもりか。

>このような問題は、世界中にある。チベット問題で中国を批判する人たちは、南オセチア問題でグルジアのサーカシビリ大統領や欧米を批判しなければ、論理的一貫性を得られない。

いや、そりゃオイラのほうが言いたいよ。ミャンマーの軍事政権の非道に弱腰な日本政府を痛罵した新-老人党や世直し老人党が中国のチベット弾圧を擁護したことには、何もコメントしなかった流水氏に対していかなる態度を期待できるって言うんだい。

>この点に関しても、ロシアは狡猾である。コソボ問題に代表される欧米の論理のアキレス腱を逆手にとって、電撃的にグルジアに侵攻した。

「電撃的にグルジアに侵攻した」ぁ?
ロシアはもうずーっと前から進駐してるぞ。それに何度も言うが、欧米各国にとってあのときのコソボごときは今回のグルジア紛争のアキレス腱なんかにはなっていないのだ。

>だから、欧米のマスコミ報道も、ロシアがグルジアに侵攻した、という点を強調して、ロシア=悪、グルジア=善という二分法で行われる傾向がある。このように各国の利害が交錯する地域での紛争は、論理的一貫性など無視して、各国の国益優先がむき出しで現れる。
つまり、その時々の都合でどうにでも変化するのが大国の論理である。


なーにをいまさら改めて言ってるんだ、あったりまえだ、そのとおりだよ。「論理的一貫性を得られない」などと非難してみたが、やはり世界の現実に気がついたって言うわけなのか?いや、どうもそうじゃないようだな。何が言いたいんだ、一体。

>パキスタンのムシャラフ大統領が辞任を余儀なくされた。米国のポチとして行動した大統領もその末路は哀れで、結局亡命する以外に選択肢がなさそうである。グルジアのサーカシビリ大統領も下手をすれば、ムシャラフの二の舞を演じるかもしれない。

なんか、ブッシュの手下が惨めな最後になればうれしいみたいな言い方だが、おあいにく様(^^;
オイラもサーカシビリやムシャラフが(ついでにあんたの好きな湖錦濤も)どうなろうと知ったこっちゃない。みんな純粋に自分の国のことだけ考えてるんだ、今はどの親分について、どの目に張れば一番リスクが少ないかってね。所詮、ヤクザの世界なんだよ、国際社会は。

>国際政治の力学に翻弄される小国の立場は難しい。遠く離れた国の出来事のようだが、日本の立場を振り返る格好の教材でもある。国内政治と政局にしか興味のない政治家とマスコミをもった国民は不幸である。

そりゃ言えてるが、本気で核ミサイルを北朝鮮に撃ち込もうとして、すんでの所までいったクリントン政権の頃、国内では羽田内閣から社民党が離脱する、って大騒ぎだったんだ。

自分だけ常に冷静で正しい、などと傲慢な勘違いをするな。

>各種競技における審判の酷さは、世界の難しさ、国益の多様性の反映でもある。
>その意味で日本の審判の[公正」さは、世界の信頼を得るのに十分である。
わたしは、ここに21世紀日本の生きる道を見ている。
>グルジア問題などに象徴される「力信仰」の政治の世界を変革できるのは、「公正」さを如何にして担保できるかという点に尽きる。日本の生きる道は、そこに求めるべきであろう


力信仰の国際社会で日本の生きる道が「公正なスポーツ審判」てか?
おーい、誰かこいつを病院へ連れてってくれーっ・・・(^^;