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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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今は昔、旧掲示板でオイラはこんなことを書いて、流水氏と議論したことがある。
その骨子を抜書きしてみると

>ス・ベ:万人にとって正しくあるべき手段(=機会の平等)。落ちこぼれはセーフティネット。
自由と言う価値は『恣意的に歪められていない真っ当な市場経済システム』からこそ産まれてくる。


>>流水:「恣意的に歪められていない市場経済システム」などというものが、過去及び現在、この地球上に存在したことがあるか。弱者のためには市場原理主義などは断じて許さず。弱者救済に必要とあらば市場経済システムそのものを恣意的に歪めるべき。(変質させた資本主義=統制経済への憧れ、民主主義を標榜しつつ、中身は出来の悪い社会主義国家)

>自由市場が持つべき活動意欲の著しい減退を懸念。
弱者を救済するための打ち出の小槌は、実は自由競争の結果がもたらすもの。
市場経済システム以 外から産まれてくる自由が市場経済システムに与えるものとは、さて、一体何か。


>>この世に、【絶対的自由】というものは存在せず。存在したとしても人間の頭の中だけ、これが常識。
市場経済原理主義のような【自由】は、他の人間の自由を侵害する、規制すべき。
格差対策は必要などと言いつつ、結局強者の自由を無制限に許容する発想から抜け出ていない。
要は、バランス。ケインズ主義とかフォーデイズムとか色々いうが、それを社会主義、共産主義と決め付ける発想自体が、根底から間違っている。
(私の主張は)資本の暴力的本質を如何にして薄めるか、というところに力点を置いた考え方。【人間が生きるために経済がある】と言うのは、それを指す。
資本主義は根本的に暴力、ましてや市場経済原理主義のような【自由】は、他の人間の自由を侵害するのだから、規制すべき。


>社会の発展には資本主義経済以外に有り得ず。例外的にアルマゲドン下での統制経済あり。(笑
市場経済原理主義を徹底的に『悪』と見る、「言葉の呪縛」(=イデオロギー)。
これでは議論噛みあわず。また、「世界経済のグローバル化を認識し、新自由主義経済論の検討に、世界経済のありようを見るのは、当然」と言っておきながら、日本だけ独自の都合を取り込もうとするその矛盾。


てな具合だったなぁ・・・懐かしい(^^;

格差の議論で気になる点はまだある。格差の存在を認めるとしても、それに苦しむ人たちは、はたして「弱者」なのか、それとも「敗者」なのか、ということだ。言うまでもないことだが、自由競争で出るのは「敗者」、特に、公共事業や補助金に依存してきた業界は「弱者」ではない。

経済構造の変化によってとっくに敗者となるべき運命にあったのに、バラマキ政治によって理不尽なまでに全員の存続が許されてきただけだ。(← ここ重要)

流水氏との議論でも言ったが、「弱者」に対しては救済の手でも、「敗者」には再チャレンジのチャンスであって、さらには、負け過ぎないようにセーフティ・ネットが、政策上は必要だ。
その際、「敗者」を「弱者」と勘違いして、全員救済型の損失補填をするような政策は、絶対に採るべきではない。それは結局の所、既得権益を温存させるだけだ。口が酸っぱくなるほど繰り返したが、結局聞く耳を持たなかった・・・はぁ

小泉は昔こんなことを言ってた。

「政治的に改革を進めようとするとき、当然、従来とはまったく違う制度や仕組みを作ることになります。従来のやり方に慣れ親しんだ感覚では、改革案はあたかも暴論と聞こえる部分もあるでしょう。まして、既得権益の恩恵を受けている人にとって、それは聞くに耐えないものかも知れません。国会で暴論とされたのは、論の中身がでたらめだというのではなく、そう論じることで『選挙に勝てなくなるではないか』という危惧から発しています。
世の中を変えるには、一番難しいことを、先にやってしまうしかありません。これは政治手法の問題ですが、先送りするよりははるかに有効でしょう。」(小泉純一郎の暴論・青論』1997)


振り返って今読めば、まったくもって至言だ。一方でこんなことも言っている

「小泉改革は何もしていないと言うことだが見当違い。余計なことは何もしなかったんだ。」(2004 1 23)
こうやって見てくると、今回、厚労省が発表したこれ(↓)

「ネットカフェ難民の就労を支援するため、公共職業訓練の受講を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を、雇用・能力開発機構に来年度創設する。年収150万円以下の受講者は返済が免除されるため、実質的には給付となる。」(厚生労働省)

参考:RVR - 村上龍 Ryu's Video Report

実に腹立たしい。
1 何故そこまで若者を甘やかす必要があるのか
  融資ならまだしも、返済免除というような甘やかしは、絶対に若者の就職に向けた対策にはならない2 担当窓口を「雇用・能力開発機構」を活用しようとしている
  廃止が検討されている組織だぞ?えーっ?(非難)
3 何故、公共職業訓練受講者に対象が限定されるのか
  職業訓練は民間でも実施可能だし、実際に提供しているところもある。そんな中で公共職業訓練受講者のみを優遇するのは、民業圧迫に他ならない。

厚労省の(正確には元労働省の)やり口でオイラが特に気に入らないのは、ネットカフェ難民を口実にして雇用・能力開発機構のような不要な組織を温存させようとするその心根で、まったく我慢ならん。

小泉や竹中や猪瀬だったら絶対に認めなかっただろうな。臨終間際の福田ヨイヨイ老人の手に無理矢理ハンコ持たせて、とんでもねー証文に捺印させた旧労働省の悪人どもの高笑いが聞こえる、あぁ・・・

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