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御製(天皇陛下のお歌) ふりつもる み雪にたへて いろか へぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 解説:どれほど難題が待ち構えていよう とも、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、私たちの大切な国を もっと良い美しい国にしていく。

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6 そういう平和政策はナチスドイツの過去の侵略を、白分たちのものとして引き受け、徹底した総括、反省の上に立ってのことだろう

 

そうか。これまでの2、3、4、5を見てまだ「ドイツは平和政策だ」というか。何も知らずにお気楽をいう奴だ。老人党にも確か居たよな。「はなもとあかり」とか言ってたが。今でも生息してんだろうか。

 

「戦後補償の日独比較」からドイツの謝罪ぶりを見てみよう。

 

 

ワイツゼッカーの欺瞞

 

「罪のある者もない者も、老若男女いずれを問わず、われわれすべてが過去に責任を負っている。」

 

このワイツゼッカー大統領の有名な「荒れ野の40年」という演説を引き合いに出して、朝日の「声」欄は言う。

       

「かえりみて、わが国戦後の歴代首相や閣僚は、日本の戦争責任と、侵略を受けた諸国に対する明確な謝罪を、心を込めて表明したことがあるだろうか。」(朝日新聞「声」H7.9.3

 

しかし、朝日が言うほどドイツは誠実に謝罪しているのか。ワイツゼッカーの演説の「罪のある者もない者も」という部分を見落としちゃならぬ。「罪」と「責任」を厳密に区別しており、この違いについて、ワイツゼッカーは、朝日記者とのインタビューで次のように答えている。

   

「人は自分に罪がないことにも、責任をとることができる。例えば、私の自動車を他人が運転して事故を起こしても、私は賠償責任を負う。」(「異なる悲劇 日本とドイツ」 西尾 幹二)

       

この区別と、次の言葉をあわせて、ようやくワイツゼッカーの本音が見えてくる。

   

「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい、無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。」

       

彼の回りくどい主張はこう要約できよう。

当時のドイツは、ヒットラーに乗っ取られた車のようなものだ。それが暴走して事故を起こした、その罪はヒットラーとナチス党員の個人的なものである。車の所有者たるドイツ民族には、賠償責任はあっても、罪はない。

 

しかしナチスの犯罪はヒットラー個人の罪で、ドイツ民族の罪ではない、という主張は強弁だ。ヒットラーは暴力で政権を奪取したのではない。1937年の正規の国会選挙で、得票率37.4%をとって第一党となり、世論の支持のもとに合法的に権力についたのだ。さらに戦後作られたナチ協力者のリストは、1200万人にものぼっている。

   

ワイツゼッカーの主張を、西尾 幹二氏は「とかげのしっぽ切り」と形容する。ナチスの罪を徹底的に追求されたら、国民全体に及ぶ。なんとか、しっぽ切りで済ませて、本体を守ろうという必死の弁明なのである。ワイツゼッカーを聖者として祭り上げる前に、その四苦八苦ぶりに思いを致すべきではないか。

 

国家として、賠償責任は負うが、決して罪を認めない、というドイツの必死の姿勢は見事なまでに一貫している。ユダヤ人虐殺に対してイスラエルと結んだ協定でも、文面上は「故郷や資産を失ったユダヤ人難民・犠牲者」を「イスラエル、ないしは新たな祖国に受け入れさせていくための編入費用」とされている。

直接謝罪もなしに、ドイツの善意による人道的援助という形をとっていることに対して、ユダヤ人たちは怒り、補償金をもらうべきではない、という批判すらあったという。

 

もうひとつ「過去の清算」と外交という観点から見てみよう。

 

ドイツの苦渋に満ちた立場と比べて、北朝鮮以外のすべての国と、講和条約できちんと処置を済ませてきた日本の立場ははるかに恵まれている。ドイツへの強制労働補償要求に味をしめて、米人元捕虜などが日本企業に対して補償請求をはじめたが、ドイツとは違って「連合国及びその国民の請求権」を放棄させたサンフランシスコ講和条約の壁が立ちはだかっている。

戦後の困難な時期にも関わらず、几帳面にすべての国と条約を結び、誠実に賠償を果たしてきた先人の努力に、現在の日本人は感謝すべきだろう。ところがここに改めて謝罪を要求してくる近隣モンスターが存在する。

   

「近隣諸国との関係を語る際、今なお『過去』の清算の不十分さが指摘される日本とドイツの相違は大きい。それが外交基盤の強弱につながっている。」(朝日新聞 H5.2.27

 

という指摘は、事実も論理も転倒している。ドイツは卓越した外交能力で、EUやNATOでリーダーシップをとり、過去の清算の不十分さをカバーしつつ、近隣諸国との関係を築いてきた。逆に日本は謝罪外交、ばらまき外交しかできず、せっかくの十分な過去の清算努力をムダにして、シナとチョンに増々付け入られる隙を与えているのである。

   

我々は、両国の「過去」は本質的に異なるのだ

  から、ドイツの「不徹底な過去の清算」ぶりを見

  習う必要は全くない。ドイツの狡猾な外交をこそ

  見習うべきなのである。

 

もうひとつ。ヒトラーの悪口は世界共通であるが、少なくとも同盟を結んだ日本にはヒトラーを弁護するだけの言い分がある。朝日やその他大勢のバカちんどもよ、耳の穴かっぽじってよーく聞けよ、と。

 

はたしてヒトラーだけに責任があるのか(「人間はなぜ戦争をするのか 日下 公人) 

 

歴史的な常識として、ヒトラーは悪者である、一方的に戦争を始めて世界中に迷惑をかけた、と思っている人が多い。それは一面、正しい見方である。しかし、ヒトラーが戦争を始める前に、そこまでドイツを追いつめたほうにも責任がある。それは、ヴェルサイユ条約でドイツの軍備を制限し、領土を狭め、沢山のドイツ人居住地域をポーランドその他の国に与えたこと、多額の賠償金を支払わせたこと、などだ。

ヒトラーは政権を握ると軍隊を再建し、賠償金の不払いを宣言し、それから失地回復を隣国に要求した。

発火原因になったのは1939年当時ポーランド領だった「ダンチッヒ回廊」をめぐる領土交渉である。ダンチッヒ回廊はもともとドイツ領だった。第一次大戦でドイツが敗北したため、ヴェルサイユ条約によって、国際連盟の保護下で自前の政府を持つ自由都市となったが、ポーランド政府は港湾・鉄道の使用権を持っていた。また、ダンチッヒ回廊はポーランド税関の管轄区域でもあった。

ダンチッヒ回廊に住む住民の95%は、ドイツ人だった。ただし、ポーランドにとってはここが海への出口である。ドイツ人住民の数は100万人で、彼らはポーランド経済に依存して生活していた。

第一次大戦が終わって二十数年経ち、ドイツは土地の返還「交渉」を始めた。「交渉」は侵略ではない。ドイツは双方の利益になる着地点を探そうと提案した。ただし、「100万人のドイツ人は祖国復帰を願っている」と付け加えるのを忘れなかった。つまり、解放戦争だというのである。

ところが、イギリスとフランスはポーランドと同盟を結んで、ドイツとの領土交渉に反対した。「ポーランドに戦争を仕掛けるのなら、われわれがともに戦う」というもので、ポーランドは、これでドイツはひるむだろうと判断した。

しかし、それはポーランド外交の失敗で、ドイツはひるまなかった。1929年の9月1日午前5時20分、ついにドイツ空軍の爆弾がポーランドの田舎町ブックに投下された。

 

ヒトラーの開戦演説

 

ドイツは久しくヴェルサイユ条約がつくり出した忍ぶべからざる問題に悩みつつあった。百万人の同胞が本国から切り離された。よって平和的提案を出したけれども、いつも却下されてしまった。ポーランドはダンチッヒを汚し、廻廊を汚し、いたるところにドイツ系少数民族をしいたげた。

過去四ヵ月にわたってドイツは忍耐を重ね、ワルソウ政府に警告を発してきたが、この警告は無視された。最後の瞬間にイギリスから調停の申し出があって、ドイツはこれを受諾したけれども、ポーランドは全権委員を派遣することを拒んだ。

昨夜一晩に国境十四ヵ所に衝突事件が起こったのである。西欧諸国がその権益を傷つけられたというなら余はこれを遺憾とするが、フランスとイギリスとに対しては友好の情を保証した。そしてロシアはドイツと了解に到達した。

ドイツはまずダンチッヒ問題を解決し、次に廻廊、そして最後にポーランドとの一般関係を調整する決心である。

昨夜はじめてポーランド軍はドイツ領に侵入したから、ドイツ軍は今朝五時四十五分にいたって砲火を返した。これよりわれらは爆弾に対しては爆弾をもって報いる。余もまた一兵卒として前線に赴くであろう。

勝利か死か、これ余の金言である。

余は今日以後ドイツ国第一の兵士たること以外になにも望まない。もし余にして斃れたらヘルマン・ゲーリングが余に代わるであろう。同志ゲーリングになにごとか起こればルドルフ・ヘスがこれに代わるであろう。万一ヘスにして事故に逢わば、参議会がその指導者を選択するであろう。

余はいまだかつて降伏という言葉を知らない。ドイツの意思とドイツの鋼鉄が最後の勝利を博するのである。(「第二次世界大戦史」 芦田 均)

 

どうだ。ドイツが戦争に勝っていたなら、これは歴史に残る名演説となったことであろう。

 

改めて思う。このクソ地方新聞はTV欄、スポーツ欄、お悔やみ欄を除き1面見出しから社説、自社論説、寄稿論説、コラム、天声人語相当欄、読者投稿欄、社会面とすべての面が反戦、反原発、反自衛隊、反米、反イスラエル、親パレスチナ、媚中、親韓、諂(てん)露、反日記事に埋め尽くされており、全く目が眩むようだ。お前は「新聞 赤旗」か。

 

非論理的な言葉の積みかさねが映像的に把握され、人がこれを臨在感的に把握してそれに拘束される。その典型的な例が黙示文学であり「言葉にする連続的な映像の積み重ねによる思想の伝達方法」である。描写とか図像には思想性はないと人が思い込んでいるが描写も図像も一つの思想を伝達しており、ある種の「言葉の映像」を順次に読者に提供していくことによって、ある状態に読者を拘束してしまうのである。

このような目で日本の新聞を読むとき、人びとはメディアがある種の思想を黙示録的に伝達することによって、その読者に一切の論理・論証をうけつけ得ないようにして来たことの謎が解けるはずである。

戦時中の報道の研究、中国報道の研究、公害報道の研究等すべてをこの観点から行なって行けば、単なる描写の積み重ねのように見えるものが、実は、ある種の思想で人びとを拘束して、絶対に態度を変えさせなくする黙示録的伝達であったことを人びとは覚るであろう。(「空気の研究」 山本 七平)

 

毎日、毎日明けても暮れてもこんな偏向記事ばっかり選考して、それを読まされ続けていれば、地方のボケ爺ぃや痴呆婆ぁは刷り込まれるに決まっているよな。たまんねぇよ、マッタク。
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 非論理的な言葉でもその積み重ねが映像的に把握され、何回も繰り返されれば人々はそれに拘束される場合があるそうだ。
そこで先の投稿についていくつかの論点を列挙する。

1 同じような侵略戦争を引き起こしたドイツを思い出す
2 東西ドイツの統一やヨーロッパ連合(EU)、統一通貨ユーロの実現、これはドイツなくしては実現しなか った平和への快挙
3 米国の顔色をうかがった政策に終始してきたことも否めない。
4 ドイツは核兵器を保有しない
5 原発も段階的閉鎖を決めた
6 そういう平和政策はナチスドイツの過去の侵略を、白分たちのものとして引き受け、徹底した総括、反省の上に立ってのことだろう

  一つ一つ検討するからな。

1 同じような侵略戦争を引き起こしたドイツを思い出す

  ホントに日本の戦争は侵略戦争だったのか?
  大東亜戦争に関する最大のウソは、マッカーサーが日本に残していった東京裁判史観、侵略戦争史観だ。
「春秋に義戦なし」、すべてが国際力学によって各国が左右され、そうした中で発生したのがこの時代の戦争じゃないか。

 弱肉強食(焼肉定食じゃないぞ)、弱者こそが「悪」と見なされていたのだ。国家の進取、覚醒、自覚が時代の精神とされ、「富国強兵」をいかに達成するかによって、諸国の生死存亡が決定されたのだ。日本も、朝鮮の独立派も、中国も、そのような時代の流れの中で富国強兵策に邁進していたのだ。そのパワーゲームの中で敗れ去った国を被害者、被侵略国として、その側に「正義」があったとするのが後世の愚かしい歴史認識だ。

 まず事実から指摘しよう。

 侵略戦争をしたのは日本だけではない。歴史を見ると強い国はみんなした。問題は強いか弱いかだけだ。強国で侵略しなかった国など一つもない。 昔、大来 佐武郎(おおきたさぶろう)と言う外務大臣(当時)が「日本がいちばん最近やったからいちばん罪が重い」と言ったそうだが、そうか?

 敗戦後、フランスはすでに独立を宣言していたホーチミン率いるベトナムに再度軍隊を送って昔の植民地支配を続けようとした。ハノイがフランス風なのは元フランスの植民地だったせいだ。結局ディエンビエン・フーで負けて引き揚げたが、フランスの再侵略は大東亜戦争以後だ。

  オランダも独立宣言ずみのインドネシア・スカルノ大統領と戦っている。
 オランダのほうがもっと新しい侵略者だ。アメリカも日本降伏後のフィリピンヘ入っている。フィリピンはすでに日本によって独立させられていたから、「われわれは独立国家である」と主張したのにアメリカは「日本からもらった独立は認めない」と言って、再び植民地にし、翌年アメリカの手で独立を与えた。アメリカのほうが日本より新しい侵略者である。

 ビルマとイギリスの関係も同じで、日本は侵略戦争をしたと言われた時には、ぜひ思い出さなければいけない。そういうことを全部含めて考えるべきだ。

 次に侵略戦争とは何かという認識もオマエには欠けているぞ。
 黄 文雄氏によれば、「侵略戦争」の烙印を無理やり押すことは、大東亜戦争の歴史的本質を誤ることになる、として次のように述べられている。

「日中戦争の本質」 日本はあまりに後進なシナの現状を憂い、このままでは欧米露といった列強の草刈り場になってしまう、さすればちっぽけな島国の日本はひとたまりもない、ここはシナと協力して列強に対抗しなければならない、そのためには今のシナを啓蒙する必要がある、この決意を以て国民戦争として臨んだ。

 しかし実際には国家VS国家の国民戦争ではなく、日本VS中国の政治勢力諸派、武装勢力諸派、およびそれらの有力者の私兵との戦争だった。 日本は中国各政府、各派各系武装勢力の絶えざる内戦に巻き込まれた。松岡 洋右の言う「日本は中国の内戦、混乱の被害者」だった。

  大清帝国は二十世紀初頭、辛亥革命を契機に崩壊したため、その領土的遺産をめぐり、少なくとも三つの勢力が争い、東亜世界の秩序は崩壊し、泥沼の状況になった。 三つの勢力とは、まず北方軍閥、中部・西南部の連省自治派の軍閥、南方の革命諸派という中国人勢力による内部抗争。これは混戦状況を深め、やがて国共内戦、清算闘争という階級闘争の様相を見せていった。二つ目の勢力とは、清帝国の瓦解を契機に独立を目指した諸民族。三つ目が、このような遺産継承戦に介入し、各勢力を支援し、内戦に加担した列強である。

この清帝国遺産相続戦争は、中華民国の乱とも定義できるが、列強の一つである日本もまた、この「乱」に加担せざるを得なくなった。中国と最も密接な利害関係を持って日本は、最も深く介入することになり、その結果起こったのが日中戦争である。


 こちらの説明の方がすっきりと理解できる。
 侵略なんて言葉を持ち出すんなら、せめて、せめてこのくらいはまとめんかい!

2 東西ドイツの統一やヨーロッパ連合(EU)、統一通貨ユーロの実現、これはドイツなくしては実現しなか った平和への快挙

 ずいぶんドイツを過大評価しているようだが、「テレビしか見ていないとこうなる」、と言う見本だ。
「東西ドイツの統一」って言っても、実際には東ドイツが自壊しただけで、特段西ドイツは何もしていない。いや、むしろ西ドイツはそれまでの基本法に代わる憲法を制定するという本来するべきことをしていないんじゃないのか?

それに「平和への快挙?」アンタは知らんじゃろが、こんな事実(↓)もある。

「ドイツがイラクのクルド人たちに武器を供与」(26.8.25 AFP)
 
  エルドアン首相の選挙公約は「クルド族との融和」であり、イラクにおけ
るクルド族の住民投票にはアンカラ政府も露骨な反対はしない。
 これらの背景から、ドイツがクルド族へ武器供与に踏み切ったもの。
 因みにトルコへの観光客はドイツ人がダントツのトップで年間400万人。一方、ドイツへ移民したクルド系を含むトルコ人は300万、両国の異様な親密度が判る。(日本人のトルコ観光は年間14万人弱)。

  少し古いが、ドイツの独立主権国家のスタンスを示す次の記事。
 
  ドイツ国会、68%の圧倒的賛成でアフガニスタンへの増派を決定(22.3.1)
  ドイツは622定員の議会で429名が賛成にまわり、アフガニスタンへの兵員増派をきめた。850名が増派され、合計5350名になる。

 撤退を表明したオランダやインド洋給油という安全地帯からも逃げ戻った日本とは対照的な政治的動きを見せ、追うように、ドイツがギリシアの銀行危機救済に立ち上がったというニュースが加わっている。

「ドイツが主張を始めた」という動きを象徴している。この増派決定も、ギリシア救済も周辺諸国へ「独立主権国家」=ドイツの主張をしている構図、日本とはまるで対照的である。

  ドイツは第一次湾岸戦争の時に今の方針を明確に打ち出している。うちとは性根のすえ方が違うのよ。

3 米国の顔色をうかがった政策に終始してきたことも否めない。

  これは否定しないが、こういう奴に限って「自主憲法制定」とか「自主防衛力」なんちゅうと血相変えるんだよね、じっさい。「米国の顔色をうかがった政策に終始」して欲しいのか、欲しくないのか、どっちだ?

【25481】Re: 一般とは?  海のYeah 2014-9-4 
>タミゾール
>他国に侵略されるのがいやなら、なぜにアメリカの駐留を認めないといけないのかも理解に苦しむ。

  正規の軍隊と、核を持ってないからでしょ。
  それくらいのことを理解するのに苦しまなくちゃならない頭の構造の方が、私としては理解に苦しみます。


ズキンと来た。全くだ。

4 ドイツは核兵器を保有しない

 そうか?


「ドイツ国内唯一の核基地がルクセンブルク近郊にあるブューヒェルに存在する。
 
基地内には、11個の航空機用掩蔽シェルターがあり、核兵器備蓄用に使われている(最大備蓄数は44発)20発のB61核爆弾が備蓄され、ドイツ空軍のトーネードIDSを装備する第33戦闘爆撃戦航空団が投下任務にあたっている。」Wikipedia:核シェアリング

  毎日投下訓練も爆弾整備もやっておるんじゃと。知っとけよ。

5 原発も段階的閉鎖を決めた

  ドイツは、「段階的閉鎖を決めた」と言ってるだけで具体的には何もしていない。
 原発は、16基のうちまだ9基が動いている。全原発を止めているのは菅のパフォーマンス被害による日本だけである。
 ドイツが脱原発の方針を捨てることは今のところ絶対にない。
 政党間の争いに巻き込まれ、猫の目のように変わるドイツの原発政策は「段階的閉鎖を決めた」ことによる新しい目標として速やかな脱原発のための仕切り直し、つまり、実行可能な計画を立てる必要がある、ということだ。時間はあまり残されていない。

今の段階では、「ドイツを見習え」よりも、「ドイツの轍を踏むな」と言う方が当たっている。

オイラの原発観は次のとおり。
 1  今ある原発は廃炉まで使い尽くす。
 2  積極的に海外に展開し、技術の温存・発展、技術者の
      養成を図っていく。 
 3  原発事故の対応実績(失敗事例も含めて)を磨いてこの
   ノウハウを海外の売り物にする。
 4  国内にあっては、あのなんちゃらシーベルトとかいう
   言葉が独りきをして居り、無知な国民を左翼メディア
   が必要以上の危険性を煽り立てている現状を憂うとと
   もに、正しい、というか適切なものの考え方を国民に
    啓蒙していってもらいたい、と切に願う。

  国内での新規原発立地はリスクベネフィットを考慮したらもう無理である。 国民に対する説明を丁寧にしないとなかなか理解されないが、原発は国防と一緒で、国家の存亡にかかわるマターであり、住民投票や国民投票になじまない、「国家の決心」とオイラは思う。

  ならば再度言う、今ある原発はただちに稼働させて廃炉まで使い尽くせ!

 

 

 地方新聞には毎回毎回飽きもせずよくもまぁと言うようなトンデモ投稿が掲載されている。そりゃそうだろう、田舎の間抜け婆ぁやポンスケ爺ぃが暇に任せて手慰みに書いてんだから(オイラもそうだが)・・・でもよー、それを毎回、毎回まともに取り上げる新聞も新聞だよな。何か意図でもあるのか?

 ざっと見ただけで、それこそ毎日毎日こんな投書の羅列、頭が痛くなってくる・・・

 

 平和共存共栄の信念貫いて  平田 弘巳(73) 26.5.30

 尖閣の国有化後中国軍機や海保の船が同諸島周辺を徘徊し始めた。相呼応して日本政府は防衛計画を拡大した。それは国民に更なる増税を強いる。同諸島の国有化が日本にとってどんなメリットがあったというのか。防衛費が膨らむということは軍需産業が潤うということだ。核兵器の保有がここまで広がった以上かつての太平洋戦争のような大戦の再来があるとは考えられない。しかし中国が経済大国化した今、資源獲得を巡り大戦争が起こる懸念はある。これからの人類は「世界は一家、人類皆兄弟」で、既存資源の代替発明、発見に努力すべきだ。

 

 不戦の思いを持ち続けたい  岡本 博(78) 26.7.25

 集団的自衛権行使容認の閣議決定に呼応したのか7月の県議会は「憲法改正の早期実現を求める意見書」を可決。我が国が戦後一貫して堅持してきた平和主義を根底から覆すものとして、反発が強まっているさなかに・・・まさか議員たちは「長崎を再び被爆地にしよう」と思っているのではなかろうね。「被爆地として九条を守り抜く」少数派の意見こそ全うだと思う。これからもひるむことなく不戦の思いを持ち続けたい。

 

「平和・護憲」記事で啓蒙を  隈江 秀彦(78) 26.7.25

「戦勝国の勲章は 煙の跡と消え失せん 立憲政治の賜は 雲の行衛と滅びなん 責めよ咎めよ大臣を 私権威福を蹂躙し 国事を誤る者は皆 我国民の公敵ぞ」これは日清戦争後の政治家の独断政治や私利私欲を皮肉ったものだが、発行人と編集人は処罰された。官吏侮辱、新聞紙条例違反であった。戦時中の大本営発表の記事しか書けなかった時代が来ないとだれが断言できようか。メディアの矛先が鈍ったような気がする。特に長崎の記者たちには「平和・護憲」の記事で県民を啓蒙してもらいたい。

 

 戦争の悲惨さ知らない内閣     井出 誠二(77)   26.7.27

 安倍晋三内閣は憲法の拡大解釈をして、歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を決めました。

 太平洋戦争の戦犯の一人である岸信介元首相。そのDNAを引き継いでいる安倍首相の思想に追随していくことの恐ろしさを感じています。集団的自衛権行使に賛成した議員に問いたい。あなた方はいざという時戦闘に加わらざるを得ない自衛隊に自分の子供や孫を入隊させることができますか。

 

 平和を願う心大きく育って    中原 猛(87)    26.7.27

 私が平和学習の講師として子供たちに最も伝えたかったのは当時の社会の混乱と、若者らが国のために命を捧げ尽くすことを叩きこまれ、戦場で散っていった悲劇をしっかり認識してもらうことだった。間もなく終戦の日を迎える。過去の過ちを二度と繰り返すまいと被爆者や高校生、各団体が核廃絶と平和を願う運動を繰り広げている。子供たちも今自分たちに出来ることは何かを考え、小さなことから取り組んでほしい。

 

 名ばかりの平和行政に失望  田代 雅美(63)  26.7.27

 安倍首相は祖父岸信介氏の名誉回復を図りたいのか、戦争オタクなのかは知らないが、妄想ぶりは相変わらずで、国民を不安に陥れている。そんな中、200弱の地方議会でも行使容認の閣議決定に反対する請願が採択され、何とその中に本県で唯一長与町の名があった。その快挙に拍手を送りたい。さてわが長崎市はどうか?情けない、相変わらず実質が伴わぬ平和行政。もう「九条の会」をはじめ、「国家安保法制懇」や市民・平和団体で作る「戦争をさせない1000人委員会」などの活動を応援するしかない。

 

 以下延々と続く反体制記事。そんな中、バカの代表登場。

 

 安倍官邸は集団的保身集団   岩崎 千彬(69) 26726

 閣議決定後いくらか下火となったが集団的自衛権と言う言葉が跋扈している。あの痛ましい戦争の悲劇を体験した国民として、関心を持ち議論することは当然の権利と義務だ。

 保身集団の安倍官邸には独走にブレーキをかける人はいないのだろう。そこまで空気を作り上げた安倍首相は過去日本政治家の中でも一級戦犯に値するだろう。

 今の官邸のような独裁集団、お友達集団に政治を行う資格はない。また、平和の党を旗印にしていた公明党の軟弱ぶりには目を覆うばかり。共産党のコメントにあるように、即、旗を降ろし日和見党と名前を変えるべきだ。

私は某民間会社に約40年勤務した。情熱と信念が人生の支えだった。在職中は様々な試練と決断の連続だった。自信過剰で冷静さに欠けていた私は少数集団のリーダーに担がれ、気がついたときには私の発言はへき地の犬の遠吠えになっていた。

 いつの世も権力者は強い。善悪は権力と冗舌で決まり、負け組は左遷と窓際の対象となる。いちずに情熱と信念を持てば人生の悲哀を味わう。安倍官邸はまさに集団的保身集団と言っても過言ではない。

 

 これって、ただのバカで落ちこぼれ爺ぃの与太話じゃねぇか。しかも自分で認めてる(笑)。居るんだよなぁ、こういう信念(だけ)のおやじ・・・健さんの「世渡りが下手ですから(ボソッ)・・・」って台詞ならカッケーが、知識も常識もなく、かといって勉強している訳でもなく、信念だけがよりどころ、情けねぇよ、実際。こんなモン、掲載するなよな。柳沢のたんたんか、それともk.satouか、お前は。で、お次はこれだ。

 

 お粗末な日本の平和政策    木口  久(74)  26831 

 8月になるとマスコミは一斉に戦争ものを取り上げ、忘れてはならない過去の歴史と向き合わせてくれる。それは戦争の悲惨さと、平和のありがたさを実感させてくれるシーズンでもある。だが終わりごろになると急速に熱が引くように終息する。 そしてまだ繁忙に身を任せる日々になる。

 私は時折、同じような侵略戦争を引き起こしたドイツを思い出すが、東西ドイツの統一やヨーロッパ連合(EU)、統一通貨ユーロの実現、これはドイツなくしては実現しなかった平和への快挙だ。

 日本もそれなりに平和への貢献はした。これは強調したい。だが一方、米国の顔色をうかがった政策に終始してきたことも否めない。

  ドイツは核兵器を保有しないし、原発も段階的閉鎖を決めた。そういう危ない物は持つべきではないという考えに立ったからだろう。そういう平和政策はナチスドイツの過去の侵略を、白分たちのものとして引き受け、徹底した総括、反省の上に立ってのことだろう。それに比べ、日本は秘密保護法や集団的自衛権、原発再稼働など、ドイツに比べあまりにもお粗末なような気がする。私の根拠のない杞憂(きゆう)だろうか。

 

 おう、おう、おう、黙って聞いてりゃ、いい加減なことばかりほざきやがって、てめっちの悪事はこの多羅尾 伴内が$○※●@▲▽?Ⅳ!!!・・・(片岡 知恵蔵)

 

  不十分または著しく偏った知識の下に、お粗末な論理を有料で展開されると、これは苦痛以外の何物でもない。たまらんよなぁ、実際。しかもそれが投稿欄のトップに掲載されて、オイラの反論はボツ。あんまり悔しいから、今からここでリベンジしちゃる。

チャンやチョンが騒ぐのなら、「あぁ、またキチガイが地べたに寝転んで、脱糞しながら泣き叫んでおるわい・・・」と嗤って済ませられるが、これがあの「反日新聞」と世間から糾弾され、慰安婦捏造記事では半端中途な(逆か)謝罪もどきを掲載しながら、反響欄ではこの件についての「読者の声」は採用ストップの完全シカトを決め込み、木村伊量(ただかず)社長自ら「歴史的事実を変えることはできない。従って謝るようなものではない」と開き直り、週刊文春の激辛広告の掲載を断った極悪売国チョウニチ新聞がぶち上げた慰安婦捏造問題逸らしの社説と来た日にゃ、こりゃオイラが黙ってられんわい、わい わい わ わい、と・・・(前振り 長過ぎっ!

 

 聞きたい首相の歴史感 (A級戦犯法要)    朝日新聞社説 26.8.29朝刊

 

「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。

 安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。

 「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」

 送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。

 碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。

 首相は昨年と04年の年次法要にも自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。

 菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。

 その上で、「A級戦犯については極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。

 戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。

 日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。

 連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。
 戦後目本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。

 首相の□からぜひ聞きたい。多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意昧なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。

  「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの堅史観を語ってほしい。

 首相には、その責任がある。    (以上)

 

おい、おい、おい、さらっとなにげに済ませているが、オイラはきっちりと読み込ませてもらう。

 

「日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって」

 

オイラは幼稚園中退(三日だけ通園)だが、このくらいの嘘は見破れるぜぃ(キリッ

 

シスコ講和条約11条では英文で「戦争犯罪法廷の諸判決を受諾」と書いてあるのに、これを「戦争犯罪法廷の裁判を受諾」と意図的に誤訳されて出回っているのだ。原文は”trial”(ディスカウントスーパーでもない)ではなくjudegments(複数形)だから「裁判」ではなく適訳は「諸判決」だ日本は講和条約で「裁判」の妥当性を認めたわけじゃない。それなのに「裁判の判決を受け入れる」と書いて、あたかも茶番劇のすべてを受け入れたかのように洗脳させようとしている左巻き学者の多いこと、多いこと。これを東京裁判史観」(日本は侵略戦争を起こした犯罪国家という史観)という・・・そして・・・それは・・・お前(アサヒ)もだっ!(人差し指をビシッ・・・

 

繰り返すが「諸判決を受諾」したことは「裁判の内容を受諾」したわけではないぞこのことはミンスの野田も野党の頃小泉に質問して確認をとっている。

裁判の「諸判決」を受諾するか、「裁判」を受諾するかは、混同してはいけない。古典的な例としては「ソクラテスの弁明」がある。ソクラテスは「裁判」の内容には不同意だったが、市民として「判決」には従い、毒をあおって死んだ。「裁判」と「判決」の違いは、すでに明確だった。戸塚ヨットスクール校長の話も有名だ。

 

同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。

 

殉難者の方々にはまっこと申し訳ないことをした、と思ってる。そりゃ、高級戦争指導者の不作為に頭に来ることはあるけれど、所詮は人間だもの、アメリカだって勝ったものの、相当怪しい奴も居た。チャーチルだってひでぇモンだったし、ハリー・トルーマンなんてあのハト以下だった。後知恵講釈ならいくらでもできる、ここは負け戦の責任を取られた人々に対してその霊に額づくしかあんめぇ。

 

それでもシスコ講和条約発効後、間もなく、「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還」を求める国民運動が巻き起こり、約4千万人の署名が集まったんだぜ。子供を除けばほぼ総員だ。独立を回復したにもかかわらず、なぜ、敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか、といった疑問が共有されたからだ。妥当で自然だよな。

 

連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。

 

なーにが国際社会だ。お前の言う国際社会ってのはチャンとチョンだろが。それに言っておくが、講和条約11条は関係国の同意なくして、日本政府は独自に戦争受刑者を釈放してはならないと規定されていたが、これらの処理に外国から異論は唱えられなかったぞ。

 

いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。

 

全く良く言うよ。衆参両議院総員賛成だぜ。一部のアカは除いて国民の総意だったんだ。

27年12月9日衆院本会議では極東裁判に対してこんな批判もあった。

 

「戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったとしても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならない」(山下 春江 改進党)

 

「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できない」(古屋 貞雄 社会党)

 

と訴えた。東京裁判がいかに不当で一方的なものかを論難するのに保革の違いはなかったんだ、アンタは知りたくねぇだろが。

 

戦後目本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。

 

戦後日本が積み上げてきたものとは「東京裁判史観」と「ヘーワケンポー」と「日教組教育」に裏打ちされた情けない日本の姿だ。

 

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニユートラルな、中間色の、富裕な、抜け目の無い、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」(三島 由紀夫)

 

 首相の□からぜひ聞きたい。多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、一体いかなる意昧なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。

 

お前がそれを言うか?戦争に勝ち負けは付きもんだ。負けはしたけど、その責任を取らされて、もう裁かれてる。もう仏様、神様になってんだ。「祖国の礎」でどこが悪い。

 

そもそも「戦争」は国際紛争の解決手段として国際法で認められていたのに、法を無視して戦勝国は敗戦国を裁いた。そんなに外国に気兼ねするんなら、その後もあちこちで戦争しているチャンコロやロスケにもその論理を永久に貫き通せ、って言ったらどうだ?してもらわないと世界の歴史認識が混乱するって。

 

日本はその裁判で、国家の中枢である指導者を7人も絞首刑にされ、さらに南方で将軍や兵隊まで処刑され、賠償金まで払っている。つまり完璧に刑に服したぜ。だから、その時点で罪(あったとしてもだが)は償われ「戦争責任」はご破算だ。ところが、解決済みの罪(?)を繰り返し持ち出しては金を請求する国がある。あまつさえ、一緒に戦ったはずのチョンまでその尻馬に乗ってきているぞ。よく考えてみろ、この動きはその「トーキョー裁判」そのものの無効を訴え無視しているのと同じ行為であり、これじゃ国際軍事裁判所の権威は失墜する。一体何を考えてんだ?お前は。誰の後押しで動いてんだ?

 

  「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの堅史観を語ってほしい。首相には、その責任がある。

 

じゃかましやぃっ!戦没者をどのように祀るかは純粋に国内のことだ。私人で行ったがそれがどうした、朝日は困るのか?ましてや他国から批判や干渉を受ける性質じゃねぇ。おい、そのパクパク動いてる口が、臭 禁屁やパク クネにくりそつだぞ。

 

もう、朝日の社員は社長以下総員(女は除く)、築地の屋上の縁(へり)に並んで内向きに立って、一斉にずりせんこいてろ、バカ。

オウ、オウ、オウ、黙ってりゃ最近、朝日の野郎、謝罪とも何ともイミフな慰安婦報道を掲載しやがってよー。
ま、そちら糾弾の方はあの阿比留 瑠比氏と津川 雅彦氏にお任せするとして、今日はチョーむかつく朝日の論説を取り上げる。

それでも戦闘機は必要か   柴田 直治(国際報道部 機動特派員)
(ザ・コラム)アジアの軍拡  26.8.23 朝日朝刊

 独裁者は36年前、島々を「自由」(カラヤン)群島と名付けた。その中心に「希望」(パガサ)という名の島がある。 領有権争いの続く西フィリピン海(南シナ海)スプラトリー(南沙)諸島。1978年、フィリピンのマルコス大統領(当時)は周辺海域の管轄を宣言し、占有拠点としてパガサ島の要塞化に乗り出した。

 今月、漁船を借りて訪ねると、島は「つわものどもが夢の跡」の風情だった。滑走路は波に浸食され、補修もされないまま。戦車は密林に埋もれ、対艦砲台はさび、塹壕は落書きだらけだった。 海空軍の約三十人が駐屯する。民間人は約百人。町役場、診療所など民生用の施設が徐々に整備されているのに比べ、軍の施設が積極的に改修された形跡はない。
 86年にマルコス独裁政権が崩壊し、民主化の季節となった。その後、冷戦が終結。 経済の低迷が続き軍事費は周辺国に比べても抑えられた。2000年代半ばまで中国との関係が良好だったこともある。 ク-デター未遂が相次ぎ、予算の多くは装備より兵士らの待遇改善に充てられた。

「空軍は過去の不合理な政策で離陸に失敗した。だが今後は国土を効率的に防衛することができる」。
 7月1日、アキノ大統領は空軍記念日の演説で、戦闘機が来年中に配備されることを誇らしげに明かした。空軍は90年代に最大34機のF5戦闘機を擁したものの、老朽化に伴い05年にすべて退役した。以後、空の丸腰状態が10年間続いていたが、昨年から始まった国軍近代化計画の目玉として、FA50戦闘機12機が導入されることになったのだ。
 近代化計画ではほかに、長距離警戒機、戦闘用ヘリ、対潜ヘリ、フリゲート艦、空中レーダーなどの購入リストが並ぶ。5年で853億ペソ(約2千億円)を費やす。
 

 フィリピンの軍事支出は10年前後から急増、昨年は前年比16・8%増(英国際戦略研究所)となった。この3年ほど、アジアで1、2を争う経済成長率を維持し、財政に余裕ができたこともあるが、何より南シナ海で領域拡張をやめない中国の攻勢に備える意味が大きい。 周辺国も似た事情で軍事費を増やしている。ベトナムは潜水艦6隻をロシアに発注。沿岸警備隊の警備艇32隻を5億4千万ドルで調達すると7月に発表した。インドネシアの昨年の軍事費は前年比26・5%増、カンボジアは同10・3%増。同研究所によると、アジアの軍事費は12年、近代になって初めて欧州を上回り、13年には3218億ドルとなった。10年に比べ23%増だ。欧州と違い、アジアには集団安全保障の枠組みがないことも軍拡に歯止めがかからない事情のひとつだという。

 私には素朴な疑問がある。これらの国々は、中進国に届かない途上国だ。多くの国民が貧困ライン以下で暮らし、海外への出稼ぎを余儀なくされる。生活向上より、戦闘機や潜水艦が優先されていいのか。  購入する武器で中国の侵攻が食い止められるならともかく、昨年の中国の軍事予算は公表されただけで1120億ドル。他方フィリピンは22億ドル。差は歴然である。  

 フィリピン大のレオノール・ブリオネス教授は「中国からの圧力を感じる国民に 『私たちにも備えがある』という精神的安らぎを与える効果はあっても、現実に中国と闘う選択肢はない」と批判的だ。
 それでも近代化計画には「意味がある」と防衛大の武田 康裕教授はいう。フィリピンは4月、米軍と新軍事協定を結んだが、「装備がなければ米軍の協力も得られない。戦闘機なり、艦船が攻撃を受けた事実があれば、米軍は動くかもしれない。何もしなければ抵抗の意思なしとみなされる」。
  フィリピン国防大のフェルミン・デレオン学長も、中国に対抗できないから何も要らないわけではないと力説する。「航空機がなければ空軍は空軍でなく、銃がなければ陸軍ではない。軍がなければ国家ではない。防衛は国家として国民への義務だ」。

 社会保障費や教育費とてんびんにかけなくても、同じ軍事費からぴかぴかの新兵器が購入される一方、スプラトリーの環礁に駐留する兵士らには冷蔵庫もテレビもない。アンバランスは途上図にはつきものと納得するべきなのか。軍事費には実際の効能より国や高官の体面を優先させる傾向があると私は感じる。  他国の軍の話であっても、日本も無縁ではない。改めてそう思ったのは、フィリピン軍高官から、こうささやかれたからだ。

 「海軍で使ってもいいんだよね」

 日本政府が同国の沿岸警備隊にODA予算で供与する10隻の巡視艇のことだ。

  「でないと、沿岸警備隊が軍より強くなってしまう」

 近代化途上の海軍の装備の貧弱さゆえの冗談ともつかぬ問いかけた。

  「そりゃあ無理でしょう」 と言いかけて私は答えをのみ込んだ。

 安倍政権は、軍への支援を禁じたODA大綱の見直しを進めている。ODAで贈った船が海軍に譲渡され、中国と対峙することはないといいきれるだろうか。(以上)

 「機動特派員」っちゃなんかいな。特派員と違って、ネタになりそうな所へ自由気ままに出掛けて行って、マッチポンプで記事を書き飛ばすのかな? とまあ、つまらぬ揶揄は措いといて、と。

「それでも戦闘機は必要か」と言う主張。
 要は 「生活向上より、戦闘機や潜水艦が優先されていいのか」 と、これだけ。
まるでみづほたんの主張そのまま。もう少し、国際情勢の分析をしたらどうか? それらしいところを探すと、あった。

1 南シナ海で領域拡張をやめない中国の攻勢に備える意味が大きい
2 欧州と違い、アジアには集団安全保障の枠組みがないことも軍拡に歯止めがかからない事情のひとつ

だが、いずれも英国際戦略研究所の引き写しで、朝日記者の自説ではない。

「購入する武器で中国の侵攻が食い止められるならともかく、昨年の中国の軍事予算は公表されただけで1120億ドル。他方フィリピンは22億ドル。差は歴然である。」

 ま、分析っちゃ分析らしいが・・・コレが分析かいっ!あのな、金額の多寡で国家安全保障の意義を分析するんなら、バカでもできるぞ、いやバカだったか、これは失敬。
 古来曰く・・・オッホン・・・「一寸の虫にも五分の魂」(平凡だなぁ、もちっと気のきいたセリフはないのか?)

彼は続ける。

 「中国からの圧力を感じる国民に『私たちにも備えがある』という精神的安らぎを与える効果はあっても、現実に中国と闘う選択肢はない」。(レオノール・ブリオネスフィリピン大教授)

 微妙な言い方だが、当たってはいる。しかしこちらの方が直球ど真ん中だろう 。

 「それでも近代化計画には意味がある。フィリピンは4月、米軍と新軍事協定を結んだが、装備がなければ米軍の協力も得られない。戦闘機なり、艦船が攻撃を受けた事実があれば、米軍は動くかもしれない。何もしなければ抵抗の意思なしとみなされる」。(武田 康裕防衛大教授)

そして

「中国に対抗できないから何も要らないわけではない。航空機がなければ空軍は空軍でなく、銃がなければ陸軍ではない。軍がなければ国家ではない。防衛は国家として国民への義務だ」。(フェルミン・デレオン フィリピン国防大学長)

こちらはもっと熱い、熱いぜっっっ!こういう言い方オイラは好きだなぁ・・・。 この熱い言葉の後に言うに事欠いて、コヤツはこんな皮肉を吐く。

 私には素朴な疑問がある。
 
同じ軍事費からぴかぴかの新兵器が購入される一方、スプラトリーの環礁に駐留する兵士らには冷蔵庫もテレビもない。アンバランスは途上図にはつきものと納得するべきなのか。

 オイラもこの映像は見た。どこかの島に施設を作る金はないので、貨物船を座礁させて海上砦を作ったのだ。当然、一切のインフラは無し。雨水と缶詰で暮らしている。たまの補給支援も、近海に遊弋するシナの海警艦に妨害されてままならぬ。彼らはぼやく「野菜が食べたい・・・」 それなのに、この有意の若者たちの行動に対して

 軍事費には実際の効能より国や高官の体面を優先させる傾向があると私は感じる。

 英国際戦略研究所の「南シナ海で領域拡張をやめない中国の攻勢に備える意味が大きい」っていう分析は、裏返せばシナが覇権膨張主義さえ止めればすむってこっちゃ。
 それなのに、フィリピン国民に対してこんな冷たい(シナが聞けば大喜びする)言葉を投げるつける、なっさけねーなぁ、実際。

 あー、つくづく朝日(毎日、東京、共同、NHKも)はやだ、やだ。